ちゃおチャオブログ

日々の連続

11.24(火・曇り)コロナ戦争。旭川戦争。

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今まで政府もマスコミも現場の医師すらもコロナ禍と表現していて、それは恰も一つの混乱、騒乱のごとき捉え方をしているが、「クラスター」の意味からすると、それは騒乱などではなく、「戦争」だ。「クラスター爆弾」で表現されるように、それは戦闘の武器であり、強力な破壊兵器なのだ。今まで日本人は「コロナ禍」との甘い表現で、この病原体との戦いが実際の戦争と同様に困難を極めるものとの認識が薄れていた。

政府は最早コロナ禍ではなく、コロナ敵との戦いと宣戦布告しなければならない。今、旭川が敵の標的にされていて、困難を極めている。今なお医療崩壊には至っていないが、政府が従来通りの甘い対応をしていたら、早晩崩壊に至るだろう。旭川は死の町。町が機能しなくなる。政府は道庁に任せるのではなく、全力を投入し、崩壊直前のこの町を救済しなければならない。医師、看護師、搬送、移動、等々、これ以上の悪化を食い止める必要がある。

北海道の清水町では町の職員にクラスターが発生し、既に町の機能は半分麻痺している。感染者が急増する地域では、この町に限らず、市の行政が滞り、あちこちで日常生活の制約が出てくるだろう。政府は機能的にこうした強力な敵に対応して行かなけれなならない。日本がイタリアやインドブラジル、米国のようになってはならない。強敵を甘く見てはならない。日本人はガダルカナル島で経験している筈だ。遂次投入ではなく、集中的にやるべきだ。最初にクラスターが発生した和歌山の有田病院が良い見本になる。県知事の指揮が優れ、クラスターを退治した。前例を参考にしなければならない。相手は強敵だと見極めなければ、この戦いに勝つことはできない。

 

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四国霊場最後の巡礼(7)第六十六番札所 巨鼇山 千手院 雲辺寺にて。

  • 五百羅漢は参道以外の場所にもあちこちに立っている。

    f:id:commodore:20201123213622j:plain七輪の石塔も立っている。

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    • 薬師堂か・・

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      • この坂の下に宿坊がある。

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四国霊場第66番札所 巨鼇山(きょごうさん)千手院 雲辺寺。四国お遍路霊場巡りには何か所かの「遍路ころがし」と呼ばれる難所がある。霊場で一番高い911mの山中にあるこの寺も「遍路ころがし」と呼ばれている。各県に1か所以上はあるが、特に多いのはスタート直後の徳島県で、「一に焼山二にお鶴、三に太龍」と言われるように3か所もある。阿波徳島は「発心の道場」。厳しい山道に音を上げて脱落するか、それを乗り越えて更にその先の土佐「修行の道場」に向かうかの早い段階での選別を迫られる。「ころがし」は「ころびバテレン」の用法にあるように、強い信仰心を喪失させるような難所で、実際に坂道に足を取られて転ぶことよりも、精神的な転び、信仰心を試す意味合いが強かったのだと思う。ここ雲辺寺のある讃岐は最後の道場「涅槃の道」であり、ここまでやってきたお遍路さんには既に強固な信仰心が植え付けられ、今更「転ぶ」ようなことはない。従ってこの場所での「遍路ころがし」は精神的なことより、高い山に登るという、物理的な転倒の危険を注意喚起しているのだろう。

「涅槃の道場」の最初のお寺。参道には五百人の羅漢、阿羅漢が出迎えてくれるが、正にその「涅槃の道にようこそ」、との歓迎の意だろう。知人の井野さんが数年前に亡くなり、今は目黒の羅漢寺に眠っている。羅漢寺という名前のお寺は全国に点在していると思うが、その総本山は大分耶馬渓近くにある羅漢寺で、以前青の洞門を見た後、人里離れたその寺に行ってみた。500人の容貌、様相を子細に見ることはしなかったが、人さまざまな性格、生き様、人生の凝縮が500のタイプにプロトタイプされていると思った。お釈迦さんの没後、王舎城の近くにある霊鷲山に500人の阿羅漢が集まって、仏典整理を行った。500人の悟りを開き、涅槃の道に入った阿羅漢。参道に並ぶその500人の羅漢像に睨まれ、見つめられると身もこそばゆい。

この寺の山号「 巨鼇山」。初めて見る文字で、何と読むかも分からず、調べてみると「きょごうさん」。「 鼇」は「ごう」と読むようだ。意味は「亀とか大亀、大なまず」。「 鼇山」とは「海中で仙山(仙人が住む山)を支える大海亀」との意味で、弘法大師なのか誰なのか、誰が最初にこの山号を付けたのか、昔の人は全く難しい文字と謂れを知っていたものだ。寺伝によれば空海はこの山に3回登り、最初は15歳の時に善通寺の上棟木材を得るためにこの山に登り、その時霊気を感じこの地に堂宇を建立したのが始まりという。次は唐から帰朝した後の35歳時、ここで秘密灌頂の儀式を行った。更にその11年後、嵯峨天皇の勅命を受け、ご本尊の千手観世音菩薩を刻み、七仏供養を行ったとのことである。

徳島の難所、霊場で3番目に高い焼山寺鶴林寺太龍寺にはへとへとに疲れた感じの歩きお遍路さんを何人か見かけたが、ここでは全く見かけない。時間が早いせいなのか、コロナ禍で巡礼を控えているのか・・。この後22ケ寺を訪問するが、讃岐路に於いては、一人の歩き遍路には出会わなかった。6月の愛媛、伊予路では何か所かのお寺で見かけることもあったが・・。初夏と初冬との季節の違いもあるかも知れないが・・。さて、紅葉に縁どられた参道を下り、大師堂、本堂と参詣し、梵鐘を撞き、御朱印を頂く。窓口の若い寺僧に「車で来られたんですか?」と聞かれた。ここにお寺があるのだから、車道もできているのだろう。「車だったら協賛金(車道利用料)を収めて下さい。」とのことだった。ロープウエイで往復2000円。車だったら協賛金は幾らになるのだろう・・。

 

境内は丁度程よい紅葉になっている。

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  • 本堂の前にある鐘撞堂。梵鐘は谷底に木霊して行った。

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    • 鐘撞堂から紅葉の先に大師堂も見える。

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      厄除不動像も見える。

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      巡礼の順序が逆順になったが、ここが山門だ。「巨鼇山」と書いてある。

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11.23(月・晴れ)安倍のインチキ。

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3連休最後の月曜日。毎日が日曜日の自分に取っては、今日が何の休日なのか、分からなくなってきている。3連休、3連休、密にならないように遠出を控えましょう、とのアナウンスしか記憶に残っていない。テレビで新天皇が弟君の皇太弟を従えて、新嘗の行事を行ったと報じていたので、戦前の新嘗祭かも知れない。

午後から少し曇ったが、野川に出る。沢山の家族、子供が遊んでいる。皆遠出ができないから、近くの公園に来て、遊んでいるのだ。健全な日本の光景。

<コロナ禍の秋の公園子ら多し>

 

検察が安倍前総理の公設秘書の事情聴取を行ったとのこと。安倍事務所からホテル側に差額分の支払いが行われているとのこと。

このこと自体公選法違反ではあるが、それよりも、莫大な国費、税金を支払って、「桜を見る会」の名目で、総理自身が選挙民を接待しているという構図だ。明らかなインチキ。

安倍氏にはまだ尚SPが二人付いているとのこと。一人分の年間経費は約1億円。安倍氏は、菅をリリーフとして、再々出馬を考えているという。恐ろしく欲望の強い男だ。

菅は学術会議への国の出費10億円をしばしば口にしているが、安倍時代、政府は加計学園に400億円を越える出費をしているとのことである。大阪森友学園の10億円値引き問題よりも遥かに巨額な出費だ。こうした問題を野党はなぜ国会の場で明らかにしていこうとしないのか・・。新聞、マスコミでも報じられていない。400億円の闇は明らかにしなければならない。

 

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四国霊場最後の巡礼(6)第六十六番霊場、雲辺寺に参拝。

ロープウエイで7分、雲辺寺山頂駅に向かう。

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標高910mの山頂駅の気温は4度だ。

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山頂駅を出た直ぐの場所に五百羅漢が出迎えてくれる。

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厄除け、交通安全の祈願所にもなっている。

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四国霊場第六十六番雲辺寺は八十八ケ寺の中で一番高い場所に建っている。標高927mの雲辺寺山山頂直下、高さ911mの場所にあるが、ロープウェイに乗れば高低差657mを僅か7分で運んでくれる。讃岐霊場23ケ寺の最初の霊場になっていて、ここから讃岐路をスタートする巡礼者も多い。8時半の時点で、駐車場には数台の乗用車が駐車していたし、ロープウェイの乗客も他に2組4人が乗り合わせている。元々駐車場は250m以上の高台にあり、見晴らしは良かったが、ロープウエイで高みに上がるに連れ、視界は更に開け、眼下の香川、愛媛両県の海岸沿いの町、島が点在する瀬戸内、その先の本土の山影なども見えるようになる。ただ紅葉に関しては、暖かい四国ゆえ本土の寒暖差の激しい紅葉の名所と比べると、全く見劣りがする。落葉樹も少なく、殆ど紅葉していない。

 

7分で山頂駅に着いたが、気温は4度。少し肌寒い。100mで1度気温が下がるので、町中の気温よりは9度も低いことになる。ここの場所は讃岐の霊場になっているが、行政上は徳島県高校野球の蔦監督率いる池田高校が有名だが、地番は旧池田町になっている。旧池田町は町村合併で現在は三好市になっている。今NHK大河ドラマ麒麟が来る」で明智光秀演ずる長谷川が好演しているが、この三好は丁度その時代に活躍した三好一族の出身地でもあった。その関係からか、江戸時代には高松藩ではなく阿波藩主蜂須賀家の帰依と庇護を受けていた。

 

山頂駅を出ると五百羅漢が出迎えてくれる。この寺は讃岐一国の「関所寺」。関所寺は各国に1ケ寺づつあるが、最初の霊場が関所寺になっているのは、讃岐しかない。生半可な気持ちでの巡礼者はここから突き返されるとのことである。五百羅漢さんに睨まれたら、生半可な者はお寺には入れない。様々な表情をした五百羅漢。喜怒哀楽、愛憎会苦、500人様の表情だ。その五百人の羅漢さんの出迎えを受けて境内に進む。坂の正面に大きな毘沙門天像が立っている。天を突くような高さだ。境内へはこの坂を少し登り、今度は少し下った場所にある。嘗て、ここの霊場は四国各地から集まってきた僧侶の修行の場であり、四国坊と呼ばれ、四国高野とも呼ばれていた。格式の高い霊場だ。

 

坂の上の正面に大きな毘沙門天像が立っている。

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この坂を下った参道にも五百羅漢が目を光らせている。

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様々な表情だ。

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この坂の下に本堂がある。

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11.22(日・晴れ)貴景勝優勝。往く人、去る人。

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ここの処晴天が続く。昨日に続き今日も秋晴れ。午後囲碁NHK杯を見て野川へ。昨日の八王子も沢山の登山者がいたが、今日の野川も大勢の人。身近な公園が人々の良い息抜きの場所になっている。

早めに戻り相撲観戦。千秋楽結びの一番。2敗の照ノ富士と1敗の貴景勝、最後の決戦。照ノ富士、土俵上に貴景勝をひっくり返す。2敗同士の優勝決定戦へ。モンゴル勢の横綱二人で休場し、今場所こそは日本人力士の優勝かと期待したが、ここへ来て、再び伏兵が現れた。照ノ富士、今場所になって、益々力を付けてきて、今場所も又モンゴルに持って行かれるかと、半ば諦め気分で決勝戦を見たが、何と、貴景勝、渾身の力を発揮し、照ノ富士を土俵外に押し出し、2年ぶりの優勝。大関になってから不甲斐ない成績が続いていたが、今場所は見事に復活した。決まった瞬間,薄っすらと涙も浮かべていた。頑張った。良くやった。

納の場所。今場所限りで土俵を去っていく力士も何人かいる。大関で、久しぶりの日本人力士の優勝を飾った琴奨菊、あの時は福岡柳川の町は沸きに沸いたが、その後、大関から陥落。番付をどんどん下げて行って、今場所は十両で取っている。成績芳しくなく、途中休場後の引退表明。満身創痍の36歳。長い間ご苦労様。

ジョージア出身で、栃ノ心の良き話し相手、臥牙丸も土俵を去っていく。ケガが治らず、番付を最下位の序二段まで落としての幕引きだ。ジョージアからはその後後続の力士が生まれず、栃ノ心のみ一人淋しくなる。

さて1月新場所、両横綱も戻ってきて、そんな中で、貴景勝今場所通りの活躍が出来たら、横綱も間近になる。もうひと踏ん張りだ。来場所が楽しみである。

 

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11.21(土・晴れ)八王子城址。

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風が少し強いが、秋晴れの天下晴れ。朝から気持ちが良い。Inaさんの運転で八王子城址へ。府中の業務スーパーが混んでいて、八王子の店で結びとドリンクを買う。こちらの店の方が駐車場も広く、品揃いも豊富だ。次回からはこちらの店で買うことにする。

市内の甲州街道は銀杏の葉が一斉に落ちて道路が埋まっている。道路が黄色くなっている。珍しい光景だ。

3連休の初日。遠出の旅行自粛案内が出ていて、身近な八王子は、今日も又沢山の登山者。来るたびに人気度が増しているようだ。パンフを手にした新規の登山者が相変わらず多い。

山頂神社のギンナンが沢山落ちている。前回来たときは何もなかったが、今頃落下するのか・・。拾う人もなく、山頂での昼食後、拾って帰る。ここの実は野川よりも大きく、食べ出がある。

帰りに和光に寄る。戻りカツオが脂が乗って美味しかった。ヤリイカはそこそこ。冷凍ソラマメは良くなかった。冷凍はダメだ。ソラマメは矢張り、取り立てでないと美味しくない。大きなスケトーを1尾買い、明日は鍋だ。大アジもある。

明るいうちにお風呂に入り、大相撲を見ながら始める。刺身には矢張り日本酒が良い。酒量が進む。食べ物も沢山ある。飲み過ぎには気を付けないと。

明日は貴景勝照ノ富士との頂上決戦だ。どちらが勝っても喜ばしい。またまた賜杯をモンゴルに持って行かれないように願いたいが・・。

 

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四国霊場最後の巡礼(5)讃岐最初の霊場「雲辺寺」へ。

8時半、雲辺寺ロープウエイの麓駅に到着した。

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駅は標高259mの場所にあり、山頂駅の911mまで7分で運んでくれる。

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駐車場に着いたときは、ゴンドラが出た直後で、駐車場の端から眼下の三豊市を眺める。

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昨夜泊まったホテル「八千代館」は江戸時代から続く金比羅山参詣客の老舗旅館だったとは、朝の和定食を食べた時に初めて知ったが、こうした老舗旅館もコロナ禍では青色吐息。清水の次郎長の代参でやってきた森の石松がどの旅館に泊まったかは知らないが、その当時からこの地に存在していた温泉旅館だ。朝の和定食が何時ごろからこんなスタイルになったのかは知らないが、もう何十年も同じスタイルで、もう既に何千人、何万人という宿泊客をもてなしてきたのだろう。

この八千代館からは琴平駅前の県道を真っすぐ三豊市に向かって東進し、市の山間部、愛媛と徳島に接する山中にある四国霊場第六十六番雲辺寺に向かった。ここは八十八ケ寺の中で、一番標高の高い場所にあり、ロープウェイを利用して行くことになる。所在地自体の地番は徳島県になっているが、四国巡礼上は讃岐一国の最初の霊場となっている。県道からは麓のロープウエイ駅まで取り付け道路を走るが、入り口を間違えミカン畑の農道に入り込み、車1台ぎりぎりの道幅の道路に往生したが、こうした時、軽を借りて本当に良かった。朝早い時間ミカン畑には既に何人かの生産者が収穫作業をしているが、愛媛香川の瀬戸内ミカンがこうして全国に出荷されて行くのだろう。漸くバスも通れるほどの本道、ロープウエイ取り付け道路に出て、8時半、麓駅に到着した。

ロープウエイは15分おきに出ていて、丁度今しがた8時半のゴンドラが出た直後だった。大きな駐車場は大型バスが何台も駐車できるほど広いが、この時間乗用車が5-6台駐車していたのみだった。どこからやってきたのか、自分よりももっと早くに行動を開始し、より多くの霊場を短期日に回ろうとしているのか・・。この駐車場自体が標高200m以上はあり、駐車場端からは眼下の三豊市四国中央市、それに瀬戸内海が遥々と眺められる。

三豊市は亡き大平総理の故郷。いつ頃から三豊市と呼ばれるようになったのか・・、総理は旧豊浜町の出身だった。20数年前、高知の五台山竹林寺を訪問した折、濱口雄幸の生家を訪ねたが、藪の中の小道を歩いた先に生家があって、こんな田舎からよくぞ日本を代表する総理にまで立身出世したかと感嘆したが、同じような思いを大平元総理にも思う。門閥係累もなく、努力と勉強一筋で、政界を駆け上った。総選挙さ中志半ばにしてして倒れたのは無念の思いだっただろう。「あーうー」の中にその無念さが込められていた。さて駅に戻ろう。そろそろ次のゴンドラがやってくる時間だ。

 

遠方には象頭山らしきも見える。

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三豊市は大平元総理の出身地だ。

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雲辺寺周辺の天候も今日は悪くはない。

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