ちゃおチャオブログ

日々の連続

6.29(水・晴れ)半端ない暑さ、メロメロ、トボトボ、旅行キャンセル。

 

 

半端ない暑さが毎日続く。睡眠不足で、良く寝られない。夜中中うとうと。寝ているんだが、起きているんだか自分でも判断できない。暑さにやられて、歩行もメルメロ、ポチポチ歩き。和歌山のドンファンが殺される直前のような歩き方だ。長続きもせず、直ぐに休みたくなる。立ち休みでも今の自分には楽だ。この猛暑で急に衰えてきた。

昨日は旅行の事も考え、4回目のワクチン接種を受けたが、こんな状態では旅行は無理だ。ましてや観音霊場巡礼など、とてもじゃないが、お呼びでない。巡礼中の行き倒れも有りうる。みっともない話だ。考えた末、旅行をキャンセルする。

ホテルの方はまだ時間的に余裕があり、負担金はないが、ピーチの方は、何やかや引かれ、しかも現金ではなく、ピーチポイントで返金される。180日以内にピーチを利用しないと、このポイントも無効になる。良くしたものだ。JALの方も同時にキャンセルしたが、まだ会社からは連絡がない。まあ、自分の命が大事だ。少し位の損金には代えられない。しかし、自分自身、情け成程、弱ったものだ。もう一人では旅行も出来ない身体になってしまった。楽しみにしていたInaさんにも連絡しておかなければ。

 

 

壱岐・対馬2島巡り(16)原の辻遺跡。

次にやってきたのは、弥生遺跡の原の辻。

 

周囲を200m程の小高い丘に囲まれた盆地の中にある。

 

この場所は広大な水田の中で5-6m程隆起した丘の上にある。

 

何か思わせぶりな鳥のトーテムが入り口に立っている。

 

 

はらぼけ地蔵、海中の小島神社の次に案内されたのは、古代遺跡を復元整備中の原の辻。ここは魏志倭人伝の中に出て来る一支国の王都跡だ。魏志倭人伝の原本を読んだことはないが、随分以前に松本清張のこれを題材に取った「陸行水行」の中に出て来る最初の倭国の国名で、朝鮮半島を経由してやって来た魏国の使者が、幾つか挙げている国名の一つだった。随分昔に呼んだ本で、内容は殆ど忘れているが、当時の人口、即ち口数は、数千口と出ていたように思った。

 

原の辻遺跡がいつ頃から脚光を浴びるようになったのか、自分は知らないが、それは多分左京鼻や猿岩が名付けられた頃と同じ頃じゃないかと思う。日本の人々の間に古代の遺跡に関心が向いたのはここ数十年のことで、遡っても精々100年位前、大正末から昭和に入ってからの事だろう。魏志倭人伝の研究は江戸時代の国文学者辺りから既に研究されていたが、それは書物の中のことであって、江戸時代中期、志賀島で漢委奴国王の金印が発見された時も、それは黒田家に秘蔵され、公に流布されその結果として学者間の考古学的研究材料になることはなかった。「陸行水行」にしても、それは魏の使者のルート検証、当時の邪馬台国の比定に力点が置かれ、自分の僅かな記憶では「一支国」=「壱岐国」との言及は余り無かった。

 

日本に於いて縄文、弥生の遺跡に脚光が浴びるようになったのは、静岡の登呂遺跡が最初で、その後、各地の遺跡が発掘されるようになった。個人が自分探しの旅、ルーツ探しに熱心なように、国家としても国の成り立ち、ルーツ探求の研究は高まり、それは又多くの国民から支持され、関心を持たれた。多くの考古学本が出版され、半ば考古学ブームにもなり、素人考古学者があちこちに出てきたのは良いとしても、「神の手」とまで呼ばれた発掘天才の人が、旧石器時代北京原人よりも古い日本原人と称する土器が実は捏造だと分かって、多くの人々をがっかりさせた。それは丁度10年程前のノーベル医学賞候補とも言われた小保方晴海の「スタップ細胞は本物です!」と言い切った、功名心に焦った結果の空回りだった。

 

ここ原の辻遺跡は、そうした日本全国で沸き起こった考古学、発掘ブームの中で進められて来た考古事業に違いない。周りを200m程の低い山に囲まれた盆地状の広大な水田の中に、この場所だけが他よりも少し盛り上がった台地の上にあり、当時の住居跡、神殿跡、倉庫跡等が再現されていた。如何にも水はけは良く、見晴らしの良い場所にあった。何かそうした古代の宗教行事を行うには、最適の場所だった。この遺跡に関しては、学者風の風貌をした、人の好さそうな、或いは古代史が如何にも好きそうなボランティアガイドが行っていて、過去何百回となく繰り返していた解説を、又新たに我々ツアー客の関心を引き立てるような話しぶりで、興味を逸らさない。人々からの賞賛や感嘆を喜びとし糧とする、彼の天職に違いない。

 

ボランティアガイドの案内で遺跡内を歩く。

 

当時の住居を再現した竪穴住居だ。

 

竪穴になっている。

 

住居の中の生活模様。

 

6.28(火・晴れ)4回目ワクチン接種。東証、予想外の上げ。



 

二転三転程ではないが、4回目のコロナワクチン接種、一度ネットで予約したが小金井の感染者数が一桁が続き、受ける必要は無いだろうと、キャンセルした。しかし、来月の関西観音霊場巡りを考えると、空港へ行ったり、大阪市内の混雑にももまれる。それを考えて、再度ネット予約し、丁度今日になった。今日は接種会場ではなく、菊池医院。以前のリハビリルームを改装して、コロナ専用の接種ルームにしていた。菊池先生、もう80にはなるが、相変わらず元気で、変わりない。首から上、後頭部が痛く、寝返りするにも痛みがあるので、相談したら、今は息子がメインに診ているから、息子に見てもらえと。2代続いた外科医院、良い息子が後継になって、親としても満足だろう。もうこの先生とも40年のお付き合いだ。もう一人の篠田先生が急死して3年、頼りにできる先生は菊池さんだけになった。まあ、医者のお世話にならないのが、最大の健康法なのだが・・。

今回のワクチン、ファイザーで、前回のモデルナと違って、量も少なく、痛みも無く、軽く済んだ。

 

東証、やや異常な動き。スタート時、100円以上上がって、NY安にも拘わらず元気さを見せたが、直後にマイナスに沈み、一時は50円以上下げる。矢張り、NYの鏡かと思っていたら、後場になって上げ基調。終わって見れば178円高で、漸くに27,000円を回復。気迷い相場なのか、相場自体が安定しない。まあ、兎も角大荒れしなければ、良しとしよう。

 

 

6.27(月・晴れ)最速の梅雨明け宣言。東証、漸く・・。

 

 

連日の猛暑日気象庁は今日最速の梅雨明け宣言を出す。去年よりも19日も早く、6月中の宣言は始めただろう。これも又異常気象。平均気温が北上し、お米の名産地が今では新潟、秋田を越えて、北海道に移っている。ワインの名産地も山梨や長野から、北海道に移りつつある。従来の名産地、フランスボルドーや加州ナパバレーなどは、ブドウの不作も続くらしい。人工的に雨を降らすことは出来ても、この平均気温を元の状態に戻すことは無理だろう。30年後には、北海道や南ア、チリが世界のワイン名産地に塗り替わっているかも知れない。

 

金曜日、NYが大幅高、ダウで823ドル、375ポイントの上げを受けて、東京も朝から活況。が、しかし、NYDの2.7%、NSDの3.3%UP程の勢いはない。1.5%程の379円の27,000円まで僅かに数十円の所で終了。いずれにしても、欧米も日本も底値の灰汁抜けは終わりつつあるか・・。

京からドイツのG7会議。ロシアは相変わらず悪さをして、キーウにロケットを撃ち込んでいるが、ロシア国債、今日から正式にデフォルトなった。プーチンが牛耳るような、こんな国は、歴史の中から消えて行ってしまうべきだ。各連邦が独立し、バラバラな国になった方が良い。

 

 

6.26(日・晴れ)墓参り。

 

 

昼前墓参り。小さな子供がお墓に向かって両手を合わせ、お参りする。4年前は下の子は漸く歩けるようになった頃だ。墓場の向こうで妻も喜んでいるに違いない。

お昼は市内のナポリの食卓。ピザが食べ放題で、子供たちも次から次に沢山食べる。もう間も無く8歳と5才。日に日に成長し、知識が付いてくる。写真が市の広報に乗り、プレミアム商品券1万円分をお祝いに買ってやる。あれやこれや季節の取り寄せ、ネット販売、等々で、毎月出費が嵩むが、株式で損をしたことを思えば、楽なものだ。

長ネギ、玉ねぎ等々、季節の野菜をもらって、夜帰る。足が弱って、歩くのも大変だ。

 



 

6.25(土・晴れ)埼玉。

 

 

総理が明日からG7及びNATO会議出席の為、ドイツ、スペインに出立する1日前に、当方は埼玉へ。一足早い墓参り。

昼前家を出て、昼飯を越谷で。午後春日部。歩いていても汗が噴き出る。麦ホップの黒ビールが美味しい。従来のとは違った味覚で、缶が進む。

2階が暑いので、1階クーラーの部屋で寝るが、変に冷えて却って寝付かれない。浅い眠りで朝を迎える。今年の夏は6月からバカ暑い。これも異常気象か。地球が狂ってきている。地球の悲鳴かも知れない。人は地球を痛めすぎている。

 

 

壱岐・対馬2島巡り(15)はらほげ地蔵、小島神社を見て、原の辻遺跡へ。

右京鼻を見た後は、芦辺の町外れにある「はらほげ地蔵」に向かった。遠方に火力発電所の煙突が見える。

 

海際に6地蔵が陸地を向かって置かれていた。

 

次に向かったのは、はらほげから近くにある小島神社。今は満潮で、海上に浮かぶ鳥居しか見れなかった。

 

左京鼻を見た後は、島の東側を南下し、旧芦辺町の集落を通過する。人家の密集した港町で、ここからも又博多港とのフェリーが運航されている。芦辺は合併した4つの町の一つだが、町中を通る道路は狭く、観光バスが漸くすれ違える程の古い町並みだ。産業に乏しいこの島では、所得水準は低いのかも知れない。

この芦辺の町外れに、はらほげ地蔵がある。6体の地蔵が海際のテラスに半分海水に漬かりながら、陸地に向かって置かれている。この芦辺は嘗ては捕鯨が盛んで、又今でも、海女で有名な町だ。この地蔵像は何か海女が海から上がってくるようなイメージもある。ガイドの大島さんの話では、この地区では江戸時代からこの六地蔵を祀る風習があり、以前は別の場所にあったが、港の整備に際し、この場所に移転されたとのことだ。6体の地蔵は仏教の六道、即ち、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の道を表して、「はらほげ」の意味は、お腹に穴があいている、「ほげている」方言から来ているとのことで、確かに地蔵像には胸の部分に穴があり、それは赤いよだれ掛を捲って見て、初めて分ったことだった。

このはらぼけ地蔵から程近い場所に小島神社があり、嘗ての江の島弁天や、フランスのモンシャンミシェルの島のように、干潮時にならないと島には渡れず、その僅かな干潮の時間帯に急いで島に渡ってお参りを済ます様だ。江の島もモンシャンミシェルも今では道路が出来ていて、干満に関わりなくいつでも参拝できるが、この小島では、参詣客も少なく、道路の建設はされることも無いだろう。今は丁度満潮時で、防波堤の所から数百m先の海上に浮かぶ小島の前に、赤い鳥居だけが、海の上に頭を出していた。余り冗談を言わない大島さんだが、この小島神社の話に及ぶと、小島のことを大島が開設している、と少し車内を沸かせた。小島神社を望遠した後、島のほぼ中央部にある原の辻遺跡に向かった。

 

防波堤の傍に咲いている花。

 

島の観光名所をプリントした壱岐交通の観光バス。

 

バスの横腹には小島神社の干潮時の鳥居の写真も貼られていた。