ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスの故地

モラエスの故地を訪ねて(108)新幹線の中で。

広州から深圳まで約1時間の乗車。途中に4駅停車する。 次に大きな町が見えてきた。 広州と深圳の途中にある東莞市か・・ ああ、在来線の線路も見える。新幹線と並行して走っている。 東莞市の駅のようだ。新幹線駅はどこも新しく、新幹線建設と同時に駅も…

モラエスの故地を訪ねて(107)中国新幹線「和諧号」乗車。

新幹線乗車口のゲートが漸く開いた。乗客はゲートに殺到する。発車は9時42分だから、後6分後だ。 いつもは2階ゲートからホームへ下り降りるが、新幹線は地下道だ。 ホームへ上がると新幹線は既に入線していた。 ああ、いつも見慣れてる和諧号だ。 座席…

モラエスの故地を訪ねて(106)広州駅。

地下鉄駅の途中にある果物店。広州は南方の町だから、果物店が多い。 ホテルからは30分も掛からず広州駅に着いた。 新幹線チケット売り場は構内の別の場所にあり、そちらに向かう。 直近の電車は出たばかりで、次は9時42分発だ。1時間弱余裕がある。 …

モラエスの故地を訪ねて(105)ホテル周辺の朝。

今日は広州から深圳に行く日。チェックアウト前にホテル近くで、朝食を食べることにする。 ホテル横の光孝寺の門前には今朝も浮浪者を仕切るような人の姿も・・ 門前には又別種の人々も・・。 お寺越しにホテルの外観が見える。インシャンホテル・シーメンコ…

モラエスの故地を訪ねて(104)海珠広場の夜景を眺め、タニシを食べる。

黄埔軍官学校旧址からは大学城北站行きのバスに乗って、地下手鉄で海珠公園に出る。駅を出た直ぐの所は大きな湖があって、それを取り囲むように、綺麗なイルミネーションの光の洪水だった。 高速道路、鉄橋なども七色に飾られている。 石の長椅子に暫く腰掛…

モラエスの故地を訪ねて(103)黄埔軍官学校旧址。

ここ黄埔軍官学校旧址は現在は海軍の施設になっている。 構内案内が出ている。軍校旧址は矢印の方向だ。 ただ、余り使われていないようだが・・ ああ、これは随分縦長の建物だ。何かの工廠のようだ。 これは士官宿舎か・・。 黄埔軍官学校。この名前を聞いた…

モラエスの故地を訪ねて(102)タクシーにて軍官学校へ。

つくば学園都市同様、ここ広州大学城も計画都市で、広々とした道路が伸びている。 取り敢えずは看板に従って、軍官学校旧址へ向かう。 駅前にはレンタサイクル用の駐輪機が何台も設置されているが、自転車が11台もない。営業はこれからか・・。 暫く歩くと…

モラエスの故地を訪ねて(101)黄埔軍官学校へ。

六榕寺出口には立派な土産店があった。 寺を出た直ぐ正面には大きな門扉と壁で囲われた将軍府がある。 清の時代に、有名な将軍がここを府にしていた「ようだ。 通りの名前にも「将軍東通」の名前が付けられている。 地下鉄「公園」駅に着いた。このビルの2階…

モラエスの故地を訪ねて(100)六榕寺の菩提樹。

境内には六榕搭、本堂、祖師堂以外にも幾つもの堂宇がある。 祖師、長者の一人か・・ 小さいながらも資料室も備わっていて、書画骨董などが展示されている。 節穴には何を見ても同じようにしか見えないが・・ 中興の師か先代法主か・・ 弘法堂とあるが、日本…

モラエスの故地を訪ねて(99)広州「六榕寺」の九重の塔と本殿・祖師堂。

真下から九重の塔を見る。確かに高い。 搭の解説は五本語でも出ている その説明によると、この搭は1097年に築造され、高さは57.6mの高さがあり、「千仏宝塔」と呼ばれているとのこと。 1000年の宝塔か・・。よくぞ現存した。 搭の構造とか建築…

モラエスの故地を訪ねて(98)路地を歩いて六榕寺へ。

どこをどう道を間違えたのか、再び又先刻見たイスラム寺院「懐聖寺」の前に出た。 近くの学校でのバトミントン練習風景。中学生か・・ 大通りに出て、大きなスーパー店の前で。電気製品などが店先で売られている。 店の前では客寄せのイベントが行われている…

モラエスの故地を訪ねて(97)五仙古観を出て六榕寺に向かう。

五仙古観・資料室には、この町の初期の頃のジオラマが展示されていた。 広州は今は大都市だが、2000年前の初期の頃には、珠江沿いの段丘上に発達したようだ。 資料室には遺跡から発掘された出土品なども展示されていた。 広州2000年の歴史。 五仙人…

モラエスの故地を訪ねて(96)五仙古観の園内散策。

これから「聖境」の門をくぐり、仙人が楽しんだ庭園に入る。 目の前に小ぶりな池がある。園自体はそれ程大きくない。 奥の方へ歩いて行ってみる。普通、どこにでもあるような庭だ。 塀際に盆栽棚が作られていた。 日本で見るような松柏類の盆栽だ。 神話の世…

モラエスの故地を訪ねて(95)嶺南第一樓の仙女。

昨日載せたばかりの写真だが、今日改めて五専任の石像を載せる。五人の中にはどうも二人の仙女もいるようだ。 庭園を奥に進むと、嶺南第一樓と言われる鐘楼がある。 これ程大きな鐘楼に上がったことは中田が、そこには又どでかい大鐘が吊り下げられていた。 …

モラエスの故地を訪ねて(94)裏通りを通り抜けて「五仙古観」へ。

再び又裏通りを歩き、次の「五仙古観」へ向かう。 再開発前の古びたアパート群だ。 建物の向い同士には洗濯竿が交差している。 どこの国で主婦は井戸端会議が好きだ。 歩いて4-5分で五仙古観へ着いた。 正門前は広い駐車場になってるが、バスも自家用車も…

モラエスの故地を訪ねて(93)イスラム寺院「懐聖寺」の竜眼。

イスラム寺院「懐聖寺」の中庭には沢山の樹木が植えられている。 イスラム寺院「懐聖寺」の中庭には、鬱蒼とした樹木が生い茂っている。 流石、中国に根を下ろしている回教寺院だ。 樹木の一つ一つには名札がついている。 この木何の木だろう・・ 戦国時代、…

モラエスの故地を訪ねて(92)イスラム寺院へ。

三元宮から今度はイスラム寺院へ向かった。裏通りの街路樹が大きい。 道路の中程に簡易保険のような窓口があった。 中を見ると、お金の出し入れがされている。 近くに自販機があった。日本と変らない電子表示だ。 コーラの味も日本と変らなかった。変わって…

モラエスの故地を訪ねて(91)三元宮の客殿と食殿。

三元神に向かって、左手には客堂がある。 反対側、右手には斎堂(食堂)がある。 客堂に滞在する参詣者はここで食事をするのだ。 殿内には様々な神が祀られている。 日本の神道と同じように、八百神の神様だ。 日本でも大きなお寺などには僧房があって、修行…

モラエスの故地を訪ねて(90)広州・三元宮。

今でも巨人軍は宮崎でキャンプしているかどうか知らないが、宮崎でキャンプしていた当時、その初日には必ず青島神社にお参りに行っていたが、青島は、この蒲葵(ほき)、ビロウ樹で覆われていた。ここ中山記念堂にも沢山の蒲葵が自生していた。南国の木だ。 …

モラエスの故地を訪ねて(89)中山記念堂の中へ入る。

中山記念堂は広州市の中心部に近い場所に位置している。 孫文像の背景には市内の高層ビルが見えている。 堂内に入ると、正面に大きな銘が掲げられていた。 内部は大きなホールになっている。なかなか座り心地の良い座席だ。 2階に通じる階段は大理石ででき…

モラエスの故地を訪ねて(88)中山記念堂前の花壇と記念撮影。

さて、「記念堂」に向かうと、ここは国家AAAAランクの場所になっている。 ああ、これは随分大きな立派な記念堂だ。 何時ごろの建設なのだろう・・。 沢山の人々が記念写真を撮っている。 どこからやってきたお上りさんだろう。。 記念堂の前には大きな像…

モラエスの故地を訪ねて(87)中山記念堂内の資料館。

地下鉄「記念堂」駅の改札付近には立体マップがあって、「中山記念堂」の場所は明確だ。 駅から直ぐの場所に「中山記念堂」はある。 「中山記念堂」、案外こじんまりした出入り口だ。 中に入ると敷地は大きい。中央のあの建物が「聖堂」か・・ 入り口を入っ…

モラエスの故地を訪ねて(86)地下街で昼食後「記念堂」へ。

駅ビルの地下には商店街はなく、駅前広場の端から地下に下りると、どの店をシャッターと下ろし、ゴーストタウンのようだった。 地下鉄乗り換え出口付近まで行くと、漸く2-3軒の食堂があった。 内1軒に入り、セルフサービスで昼食を食べる。 地表に出て、…

モラエスの故地を訪ねて(85)地下鉄に乗って広州駅へ。

南越王博物館駅は随分長いエスカレーターを降りて、地下駅へ行く。 広州駅は次だ。 ここも広くてきれいな駅だ。 案内板を見ながら駅ビルに向かう。 駅地下の乗り換え通路は広くて、人も多い。 地表へ出ると、駅前の大きな広場になてちた。 先日の珠海の駅前…

モラエスの故地を訪ねて(84)南越王博物館を出る。

南越王のミイラの部屋をでたら、もう一つ出口に部屋があった。 紀元前の南越王の時代から明清時代までのこの国の変遷を展示しているようだ。 織機の道具、部品なども展示されている。 織物の工程だ。 銅剣か・・ 釣り道具か・・ 1時間半ほどの博物館内の比…

モラエスの故地を訪ねて(83)王のミイラと金印。

最後にやってきたのは、王のミイラの部屋。 これは復元された棺だ。奇妙な模様と彩色。 かなり大きな棺だ。 ミイラはこのような状態で発掘された。 展示室の状況。 それにしても大きなミイラだ。 ミイラはこうshた玉器や沢山の宝石で飾られていた。 さてこ…

モラエスの故地を訪ねて(82)南越王文帝。

この博物館は左右2棟に分かれていて、今度はもう一棟の展示室に入る。 南越の至宝、財宝展だ。 色々と説明がされているが・・。 兎も角、中へ入ってみよう。 ああ、この床の模様。細かい図柄だ。 ん、南越文帝?? 漢の武帝、文帝と違うのか?? 博物館中庭…

モラエスの故地を訪ねて(81)南越王墓の案内板。

王墓を発掘した現場跡。 発掘状況を説明するパネル。ここは前室だ。 遺骨とか見回り品の小物が出土された。 王墓の状況が詳しく案内されている。 この場所に左夫人の遺骨が納置されていたのか・・ 半世紀ほど前の紅衛兵旋風が吹き荒れていた頃の中国は、今の…

モラエスの故地を訪ねて(80)南越王石室へ。

中山王と南越王とのコラボ展示室出ると、中庭に出た。 ここは博物館の3階部分にあたり、前方に地下向かう入り口が見えた。 ああ、ここが南越王の王墓へ向かう入り口なのだろう。 地表部分はガラスルームになっていて、地下の状態がジオラマにんっている。 …

モラエスの故地を訪ねて(79)中山王と南越王。

いよいよ最後の展示室になった。中山王と南越王、2千年の相遇とある・・ 何の土器だろう・・。穀物でも保管していたのか・・ これは又見事な銅器だ。水がめ・・ ああ、水盤だ。 いやー、これは見事な模様の水盤だ。 「簡潔」、という言葉がこの竹簡、木簡か…