清張通りから眺めるお城。
朝日に翳るお堀。
お城の向かいには小倉北署の大きなビルがある。以前は3階建ての古めかしいビルだったが・・。
西門を入った直ぐの場所に清張記念館が建っている。
この記念館も出来てからもう10年になるか・・
今日は1日まるまる予定が空いてしまった。Fixの航空券だから、予定を変更して早目の便に乗り換えることも出来ない。夜9時の最終便まで、どこでどう時間を潰そうか・・。取り敢えず、昨日時間切れで出来なかった、目の前にある小倉城を散歩することにしよう。
天守閣も清張記念館も以前一度入っているから、今回は城内を散歩するだけにしよう。それにこんな早い時間では、お城も記念館もまだ開いていない。
清張通りの西門、清張記念館のある所の城門から入る。城門と言っても、今はお城全体がオープンになっていて、どこからでも自由に入れるが、今日は城内でフリマ、青空市場が開催されるらしく、朝早くから車の出入りが多い。フリマの商品を運び入れる車のようだ。
正門を入った直ぐの所に小倉連隊の赤レンガの正門跡が残されている。この赤レンガは以前来た時と同じ場所に同じ状態で立っている。明治以来の記念すべき連隊正門跡と思われるが、市も県も何等記念碑的な保存措置もしないで、そこに無造作に放置されているようだ。この状態も以前と変わらないし、その横の、写真付の解説パネルも以前のままだ。
数年前、この赤レンガを見た時、鴎外を想像し、更に古い乃木将軍を想像し、感激したが、市当局が無感情であるように、この正門の中、戦前の連隊敷地内では、今日のフリマの場所取り、飾りつけ、等々で人々が忙しそうにしている。嘗てのこの場所が連隊跡とか鷗外とかは全く関係ないごとく、今日の稼ぎ、今を生きている。
前回、このお城に来たときは、会社の同僚の菅原さんと一緒だったが、その時は秋で、今のこの場所、天守閣の前には大きな棚が作られ、菊花展の最中だった。大輪の菊や懸崖の造り、それは見事なものだったが、この町の人々、城下に生きた、武家の後嗣の息遣いを感じさせるものがあった。今朝は全く趣を代えてのフリマ。それも又この町の違った面、一つの顔かも知れないが・・。
天守閣も清張記念館も以前一度入っているから、今回は城内を散歩するだけにしよう。それにこんな早い時間では、お城も記念館もまだ開いていない。
清張通りの西門、清張記念館のある所の城門から入る。城門と言っても、今はお城全体がオープンになっていて、どこからでも自由に入れるが、今日は城内でフリマ、青空市場が開催されるらしく、朝早くから車の出入りが多い。フリマの商品を運び入れる車のようだ。
正門を入った直ぐの所に小倉連隊の赤レンガの正門跡が残されている。この赤レンガは以前来た時と同じ場所に同じ状態で立っている。明治以来の記念すべき連隊正門跡と思われるが、市も県も何等記念碑的な保存措置もしないで、そこに無造作に放置されているようだ。この状態も以前と変わらないし、その横の、写真付の解説パネルも以前のままだ。
数年前、この赤レンガを見た時、鴎外を想像し、更に古い乃木将軍を想像し、感激したが、市当局が無感情であるように、この正門の中、戦前の連隊敷地内では、今日のフリマの場所取り、飾りつけ、等々で人々が忙しそうにしている。嘗てのこの場所が連隊跡とか鷗外とかは全く関係ないごとく、今日の稼ぎ、今を生きている。
前回、このお城に来たときは、会社の同僚の菅原さんと一緒だったが、その時は秋で、今のこの場所、天守閣の前には大きな棚が作られ、菊花展の最中だった。大輪の菊や懸崖の造り、それは見事なものだったが、この町の人々、城下に生きた、武家の後嗣の息遣いを感じさせるものがあった。今朝は全く趣を代えてのフリマ。それも又この町の違った面、一つの顔かも知れないが・・。
旧小倉連隊の赤レンガの正門跡がある。
以前と同じ場所に、同じように建っている。
正門の中ではフリマの人々が開店準備で忙しそうにしていた。
この元気さ、賑やかさもこの町の一つの特徴かも知れない。
天守閣はそうした人々の動きを黙って見下ろしている。