バスターミナルを出た表通りには幾つかの「賓館」や「旅社」がある。
当方が選んだのは一番手近にあった「西站快捷賓館」。1泊180元。
まあ、3000円程のホテルだが、小奇麗だ。
テレビもあるしネットも使える。
隣のレストランで遅いお昼。先ずはビールで一杯。
バスターミナルの横の大通りにあるホテルに先ずチェックインし、リュックを部屋に置き、ホテルの横のレストランで少し遅い昼食を食べる。このホテルは「西站快捷賓館」と言う名前で、宿賃も想像通り200元もしないで済んだが、この名前からすると、今までここは市の中央バスターミナルと思っていたが、「西駅(站)」ということになる。
中国の大都市には大体複数のバスターミナルがあって、東西、乃至南北に分かれている例が多いが、確かに洛陽はこの街の西に位置していて、西方面から来たバスはここを終点とする方が、何かと都合が良いのだろう。明日は南京に向けて旅立つが、そうとすると、南京は南東に位置しているから、又、別のバスターミナルへ行く必要があるかも知れない。
しかし大きなバスターミナルの周辺には幾つかのホテルが建っていて、旅行者には困らない。「賓館」ですら200元もしないのだから、「旅社」クラスになれば、50元、30元(500円程度)位でも泊まることはできる。ただそうした「旅社」は外国人旅行者を断る例が多いが・・。そんな風に過去の地方都市での経験を思い出しつつ部屋に入ると、「賓館」と言うだけあって中々綺麗で、薄型テレビなどもある。今の中国はどんどん近代化し、今ではもう殆ど日本と肩を並べる位だ。
ホテル隣のレストランでは昼時を過ぎていて、ガランとしていたが、簡単な昼食を食べ、さて、初めての街、どこに何があるか分からず、行き当たりばったりに街を歩くことにした。城門を潜って外に出ると、前方に鉄道の駅が見える。「開封」と中国語の簡体字で大書してある。簡体字にも大分慣れてきて、じっと見ていると大体旧字体が想像できるようになってきた。
昔ここは「汴亰」と呼ばれていたが、これなどは日本語には無い漢字で、知らないと読めないが、ここは嘗て「べんけい、べんきょう」と呼ばれ、唐の後を継いだ宋により首都が長安からこの地に移されたのだった。嘗ては世界一の都市として栄えもしたが、宋、金がモンゴル(元)に敗れ、王都が北京に移されたり、その後の黄河の大洪水の被害に遭ったりして、往時の繁栄は失われたとしても、又近代中国になってから、交通の要衝として、勢いを盛り返している感もあった。
そうした古い歴史を持つ街だから、史跡や公園などもあちこちにあり、最初に向かったのは「鉄塔」と言う、中国でいう処の重文、重点文化単位の一つだ。宋の時代の遺物を見てみよう。
中国の大都市には大体複数のバスターミナルがあって、東西、乃至南北に分かれている例が多いが、確かに洛陽はこの街の西に位置していて、西方面から来たバスはここを終点とする方が、何かと都合が良いのだろう。明日は南京に向けて旅立つが、そうとすると、南京は南東に位置しているから、又、別のバスターミナルへ行く必要があるかも知れない。
しかし大きなバスターミナルの周辺には幾つかのホテルが建っていて、旅行者には困らない。「賓館」ですら200元もしないのだから、「旅社」クラスになれば、50元、30元(500円程度)位でも泊まることはできる。ただそうした「旅社」は外国人旅行者を断る例が多いが・・。そんな風に過去の地方都市での経験を思い出しつつ部屋に入ると、「賓館」と言うだけあって中々綺麗で、薄型テレビなどもある。今の中国はどんどん近代化し、今ではもう殆ど日本と肩を並べる位だ。
ホテル隣のレストランでは昼時を過ぎていて、ガランとしていたが、簡単な昼食を食べ、さて、初めての街、どこに何があるか分からず、行き当たりばったりに街を歩くことにした。城門を潜って外に出ると、前方に鉄道の駅が見える。「開封」と中国語の簡体字で大書してある。簡体字にも大分慣れてきて、じっと見ていると大体旧字体が想像できるようになってきた。
昔ここは「汴亰」と呼ばれていたが、これなどは日本語には無い漢字で、知らないと読めないが、ここは嘗て「べんけい、べんきょう」と呼ばれ、唐の後を継いだ宋により首都が長安からこの地に移されたのだった。嘗ては世界一の都市として栄えもしたが、宋、金がモンゴル(元)に敗れ、王都が北京に移されたり、その後の黄河の大洪水の被害に遭ったりして、往時の繁栄は失われたとしても、又近代中国になってから、交通の要衝として、勢いを盛り返している感もあった。
そうした古い歴史を持つ街だから、史跡や公園などもあちこちにあり、最初に向かったのは「鉄塔」と言う、中国でいう処の重文、重点文化単位の一つだ。宋の時代の遺物を見てみよう。
ホテルの直ぐ近くに城門があり、城門の外に出てみる。