ちゃおチャオブログ

日々の連続

補陀落渡海への旅(71)マージャン好きな人々。

「東沙角」。目の前に太平洋、東シナ海が広がる。
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ああ、この海は九州五島まで繋がっている・・
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どこか備前牛窓の海を思い出す。
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ああ、石組みの家が芸術的だ。
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あけっぴろげの民家が開放的だ。
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中を覗くと近所の主婦がマージャンに興じている。
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海の水の色は異なるものの、備前牛窓から眺める瀬戸内の海の似た小島を眺め、又元の道路に引き返し、先刻のバスターミナルに向かう。舟山群島の東端にある島の一番東にある「東沙角」から一番近い外国が日本であり、琉球であった。九州五島とは地図上では指呼の間であるが、帆掛けの時代にあっては、太平洋の荒波、難儀をしたことだろう。

又、細い集落の裏道を歩き、町中に向かう。日中とて殆ど人は見かけない。この集落に残っているのは殆どが高齢者で、若い人は杭州、上海等の大都市、或いは海外に仕事にでているのだろう。そうした若者の仕送りがあるからは、各住宅には貧しさもうら寂れた感もない。ただ、取り残されて、ゆっくりした時間が流れているだけのようだった。

しかしそれにしてもこの集落の人々は麻雀が好きだ。大通りに大きな雀荘があったが、この裏通りにも同じような雀荘がある。しかもどちらも昼間から満席だ。まあ、それ程娯楽が限られた島といえばそれまでだが、彼等に生活に余裕がある、ということも言える。この集落に来て貧しさが全く感じられなかったが、これが中国人の一地方の小さな部落の老後の生活とすれば、日本人のお年寄りよりも余程か恵まれた老後と言えるだろう。

共産主義は40年の間に国民から貧困を駆逐し、何をしなくても普通の生活ができる年金生活を保障し、人々はあくせくもせずに余暇を楽しむ。或いは少額の金銭を賭けているかも知れないが、それも楽しみの範囲だ。言葉が通じれば、色々と聞きたいこともあったが、ただ、通りすがりに挨拶を交わし、にこやかにほほ笑み返し、「再見!」を返し、通り過ぎて行った。
 
 
 
 
 
毛主席万歳! 何かの役所の支所だろか・・。
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又暇そうな年寄がいる。
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奥の部屋では又々マージャンで賑やかだ。
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 ああ、この町は陶芸も盛んなようだ。
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 値段を見たら、そこそこの値段だったが、割れ物では、今から日本までは持ち帰れない。
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小腹がすいた。お粥でも食べようか・・。
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