ちゃおチャオブログ

日々の連続

中国・歴史の旅(103)開封市内の古刹「大相国寺」。

開封府を出た直ぐの食堂でお昼を食べた。
イメージ 1
 
 
小粒のまんとうが蒸し立てで美味しかった。
イメージ 2
 
 
開封府から歩いて相国寺に向かう。
イメージ 3
 
 
この辺がこの町での一番の繁華街のようだ。
イメージ 4
 
 
アメ横みたいな路地の商店街が続いている。
イメージ 5
 
 
アジア的、中国的な商店街だ。
イメージ 6
 
 
 
 
開封の街の中心地、この町で一番賑やかな辺りに「相国寺」という古刹がある。京都にも同じ名前のお寺があり、それは足利三代将軍、義満の祈願により夢想礎石が14世紀後半に建立したものであるが、開封の寺は相当に古く、戦国時代の魏、魏志倭人伝の魏の時代、4世紀にはすでにこの場所にあった。

開封府から程近い場所にあり、開封府を出た直ぐの所でお昼を食べて、そぞろ歩きでここまでやってきた。賑やかな繁華街だ。賑やかさはアジア的、中国的な賑やかさで、雑多な中に人の触れ合いがあり、日本で言えば、アメ横、浅草、下町の商店街のような賑やかさで、人間のぬくもりがある。相国寺の横に広がっている路地的な商店街で、日本で言うところの門前町、寺社町のような感じの通りだ。

通りを一巡し、相国寺に入る。広大な寺域だ。開封府も広かったが、このお寺も広い。ここは紅衛兵には荒らされなかったのだろうか。昔風の仏殿に仏像、歴史のありそうな文化財が残されている。そうか、宋の時代、鎌倉、室町は盛んに中国との交易をしていた。日宋貿易だ。日野富子など巨万の利益を上げていた。そうした商人、仏僧等がこの町にやってきて、街の真ん中にあるこの相国寺に参詣し、京都相国寺の建立に際して、三光にしたのかも知れない。そうして境内を歩くと、この寺は日本と中国との歴史の水面下でのつながりが感じられるものだった。
 
 
 
 
さて相国寺に入ってみよう。
イメージ 7
 
 
ああ、随分広い境内だ。
イメージ 8
 
 
しかも歴史を感じさせる。
イメージ 9
 
 
これ等の建物は紅衛兵にも壊されなかったようだ・・
イメージ 10
 
 
さて建物の中に入ってみようか・・。 鼓楼と書いていある。
イメージ 11
 
 
ああ、観音さんがいる。いや待てよ、弥勒さんか??
イメージ 12