ちゃおチャオブログ

日々の連続

中国・歴史の旅(105)開封「相国寺」の五百羅漢と千手観音。

相国寺内に安置されている仏像の数々。
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仏像の名前とか謂われが分かると嬉しいが・・
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ああ、これ等の仏像は良く中国のお寺に安置されている。
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日本で言えば七福神の様な神様だ。
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釈迦三尊か・・
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ああ、羅漢さんだ。
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さて、これから堂内の拝観である。中国は儒教国であるが仏教国でもある。大乗仏教は今尚人々の崇拝する所である。日本の仏教が神道と相性が良いように、中国も仏教は儒教と袖触れ合う仲になっている。行けないのは韓国で、アジアに於ける有力な仏教国であったものが、今はキリスト教国になっていて、仏教の名残は僅かに慶州辺りの仏教寺院に残されているのみである。仏教徒でも無い韓国人が対馬のお寺から重文の仏像を盗み、なにやかや屁理屈を付けて仏像返還に応じないのは、真に怪しからん話である。この事件を見ていると、宗教的Identityを失った哀れな韓国人の現代相が見えてくる。

それはさて置き、この「相国寺」内に安置されている仏像の数は数えきれない程多い。多彩な仏様で、多神教の最たるもので、一神教キリスト教イスラム教とは相いれないものである。仏像に対する素養が欠けていて、どの仏像が誰で、その印呪は何を意味するか、宝器の種類等殆ど分からないが、その数には圧倒される。

しかしこの寺の目玉である五百羅漢と千手観音はパスすることは出来ない。五百羅漢は日本のお寺にもあって、目黒の羅漢寺には去年知人の井野さんが納骨されたが、それはこの旅行の後のことである。五百羅漢で思い出すのは、大分の山中にある羅漢寺で、坂を登った山の中腹に何体もの石像が並んでいたのを思い出す。しかし、そこのは色彩の無いくすんだ石仏であったが、ここ相国寺は、色鮮やかに着色されている。東南アジアの小乗仏教国では、原色の仏像に目を惹かれるが、中国でも同じ流れである。奈良時代の初期の頃の日本でも着色佛は数多く見られたが、平安、鎌倉に入ってからは金箔を施す以外の着色は余り見られなくなった。日本人が日本的仏像の良さを求めて行った結果であり、それは神道の自然崇拝と根を一つにして精神的なものかも知れない。

金箔の仏像。仏様は神々しいので、金色に光り輝いている。黄金佛は大乗、小乗問わず、どこの国でも大切にされている。木目に金箔を塗るということで、その価値が高められるのだ。この相国寺にある千手観音像が黄金佛か金箔佛かは分からない。ただ燦然と光り輝き、見ているだけで救済される感じになる。五百羅漢に自分と似た仏像を探し、千手観音に両手を合わせ、自身の救済を願う。相国寺に来て良かった。
 
 
 
 
 
この寺の目玉、五百羅漢。
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優に500体の羅漢さんがいそうだ。
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兎も角凄い数の仏像だ。
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ああ、千手観音像。
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金の仏像。千の手で人々を救うのか・・
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千手観音像に前で熱心に祈る参詣者。
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