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日々の連続

補陀落渡海への旅(84)天台山国清寺の日蓮上人石塔。

この場所は國清寺の一番高い場所にあるから、目の下に境内の堂宇が見える。
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屋根の形も中国風だ。
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日本でも見られるような路地の花。
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ああ、前方に石柱が見える。四角の珍しい形だ。
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何、南無妙法蓮華経の石塔だ。
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天台智顗、智者、最澄の石碑堂を真ん中にして、その左側に観音堂中韓祖師堂などがあり、その反対側、右手は日蓮上人揮毫の「南無妙法蓮華経」が彫られた、ずっしりとした重量感のある石碑が建っている。真四角の堂々とした石碑で、形は「石見の人森林太郎」の墓を思わせるが、この石塔の文字「南無妙法蓮華経」がすごい。文字が生きている、躍っている、正に躍動し、生命感みなぎるものがある。

裏に彫られた跋文を読むと、佛歴2529年に日蓮宗総務院と天台山國清寺との合立とある。佛歴2529年と言ったら1986年のこと。今から20数年前、日本のバブル最潮期の頃で、この頃は中国もまだ経済発展が緒に着いたばかりの頃で、日中間が今の様な険悪な状況ではなく、こうした文化交流も盛んに行われていた。金持ち国日本が当時の後発国中国に如何程の協力金、建設費を支払ったかは知らないが、当時の中国人は今と違って、日本人に対しては大いにへりくだっていたに違いない。

形ばかりとは言え日蓮沙門の小生が聖人直筆の「南無妙法蓮華経」をこの場所で見るのはジーンとした気持ちにもなるが、しかしどうしてこの場所に天台行者でもない日蓮上人の石碑があるのか? 石柱を一巡し、思い至ったのは、日蓮は若き頃、比叡山で修業し、天台宗を学んだ。しかしその後、天台宗から別れ、日蓮宗と言う一派を開創した。そうして見ると日蓮の最初の教義となるものが天台宗で、日蓮を突き詰めて行けば、ここ天台山に至ると言うものか。

鎌倉以降の各新興宗教開闢者は、法然親鸞一遍上人初め皆中国へは行かずに、国内で修業し一派を打ち立てた。日蓮もその一人だった。日本には既に歴代の留学僧により仏典、仏具、教義、経典が請来されていて、敢えて入唐、入宋しなくても、国内で充分研鑽できたし、又それだけの知識も蓄積されていた。 
 
日蓮は、ここ天台山で修業した訳ではなかったが、宗門としては、祖の祖、日蓮の歩んだ遠い先にここ天台山があったとして、お礼参りの法華経を建てたのか・・。しかし中国仏教界に於いて、法華経は似つかわしくないものだが、遥々訪ねてくる日本人にとっては、先月、開封相国寺で見た青年空海大師像同様、誇らしく思えるものだろう。石塔に向かい、もう一度「南無妙法蓮華経」を唱え、この高見を下ることにした。
 
 
  
ああ、珍しい、これは日本の物に違いない。
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矢張りそうだ、日蓮上人の記念碑だ。佛歴2529年、と言ったら、1986年のことか・・
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石塔に「南無妙法蓮華経」を唱え、下ることにする。
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僅か1時間強の境内散策だったが、得るものが多かった。
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世界の天台宗総本山のことはある。
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