ちゃおチャオブログ

日々の連続

補陀落渡海への旅(85)天台山国清寺の古道を歩く。

最澄日蓮を想いながら、国清寺を下る。
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この真柏も謂れあるものだろう。
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樹齢何百年になるのだろう・・。最澄の頃には既にこの場所にあったのか・・。
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平地の庫裏まで下りてきた。
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最後の、或いは最初の堂宇だ。
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御仏に最後のお参りをする。
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ここは宿坊か。
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天台宗の総本山國清寺に来て、最澄に関連する遺跡か遺物、遺品があるかも知れない、というぼんやりした期待は抱いていたが、それにしても僅か3ヶ月の短期留学で、それ程強烈な足跡は残していないだろう、とは思っていた。案の定、寺にあったのは、つい最近の戦後になってからの参詣団により建立された立派な石碑であり、しかもその場所はこの寺で一番高い、見晴らしの良い場所に建てられていた。

全く予想外だったのは、同じ高見のやや低い場所に最澄石碑と並ぶようにして日蓮の石碑があったことであり、これについては全くの想定外で、その真四角の石碑に躍動する「南無妙法蓮華経」を見、大いなる感動をしたものだった。日蓮上人の御霊も遂にここまで来たか、と。勿論、日蓮と中国天台宗とは直接の関係は無い。しかし大乗仏教の総本山の一つ、天台山國清寺に参詣することは、日本を初め内外の求道者にとっては生涯持ち続けた夢であったかも知れない。最澄にしても日蓮にしても、金持ち国日本の金権の賜物、と指摘する人もいるかも知れないが、それにしても日本人の一人としては、千数百年も前の日本人聖人が、世界の総本山の最上段でこうして晴れやかに顕彰されているのを知るのは心地よいものだった。

そうした嘗ての日本の聖の足跡を思い浮かべながら坂を下り、國清寺を後にし、寺の直ぐ前にある「古道」に向った。「古道」は表参道とは違って、山の中の小道で、千数百年前のこの天台山の雰囲気を色濃く残していて、野趣に富んでいた。この「古道」を分け入り、次にその林の先にある石塔を見に行くことにしたのだ。  
 
 
 
 
出口(入口)にやってきた。これで国清寺を最後にする。
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寺の前を流れる清流。
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 読経の声もなく、せせらぎの瀬音だけが高く林に響く。
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さて、先刻見た「古道」を歩いてみよう。
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綺麗に舗装された道だ。
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山道を更に分け入る。
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何かの碑が立っている。文字が薄れて良く読めない・・
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