ちゃおチャオブログ

日々の連続

中国・歴史の旅(112)「清明上河図」の世界ー4.

太鼓橋の上は凄い人の波だ。
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何かが始まるに違いない。行って見よう。
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もうショーは終わったのか、橋を下る人も多い。
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ああ、池の中で何かのショーをやっていたのか・・
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ああ、船が出ている。昔風の船だ。
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ああ、案内嬢がいる。こっちを向いて下さい!
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人だかりのしている太鼓橋の方へ行って見る。観衆は橋の上から何かのアトラクションを見ているようだ。人の波にもまれながら橋の上に行くと、大きな池の中に昔風の船を浮かべ、これから何かが始まるようだ。どうも海戦のようで、小さな小舟が大きな帆船を取り巻くようにして浮かんでいる。

鎌倉時代、日本は二度の元寇に襲撃されたが、2回目の元寇の際には元軍は10万艘の軍船を日本に送った。その内の大半は、軍門に下した南宋の軍船だったと言われる。今回のこの旅行の1か月後、補陀山、舟山群島、寧波等を旅行したが(「補陀落渡海への旅」
http://blogs.yahoo.co.jp/ciao3776/folder/467467.html)、それ等軍船は、寧波、定海、等舟山で編成され、大挙日本へ押し寄せた。

今池に浮かぶ軍船は当時の設計図等を参考にして制作されたものだろう。船体は黒く塗られ、砲門も見える。こんなので、襲撃されたら、日本の早手舟など一溜りもなかっただろう。辛うじて、ゲリラ戦法により、大船に火を放ち、次々類焼させて、敗戦を免れた。池の上では、これからそうした海戦が始まろうとしている。    
 
 
 
 
ああ、半身でも充分だ。
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橋の上からの眺め。
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ああ、遊覧船が浮かんでいる。
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橋の上から遠方の置物や観音が見える。
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ここからこうして眺めても、広大な敷地だ。
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さて、自分も一旦橋を下りようか・・
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