ちゃおチャオブログ

日々の連続

中国・歴史の旅(122)南京「長江大橋」。

市内ツアーバスが最初に訪問したのは「長江大橋」。
イメージ 1
 
 
1960年代に完成した、世界でもまれにみる長大橋だ。
イメージ 2
 
 
中国の技術の高さが誇れるものだ。
イメージ 3
 
 
さて、これから橋の上に上る。
イメージ 4
 
 
やや、エレベーター前には巨大な毛沢東像が立っている。
イメージ 5
 
 
ああ、これは確かに中国が誇る巨大橋だ。
イメージ 6
 
 
13年前には気が付かなかったが、今見ると確かに二重橋になっていて、道路の下に鉄道線がある。
イメージ 7
 
 
 
 
ホテルを出たツアーバスが最初に向かったのは、先刻列車で通過した「長江大橋」だ。完成当時の中国最大、最長の大橋。当時は世界の大ニュースにもなったものだった。共産革命、毛沢東思想の象徴的なもので、中国大躍進の一つの結果であり、更に飛躍するスタート点でもあった。

1960年代、中ソ関係が急速に冷え、一時は中ソ国境紛争で軍事衝突まであったが、まだ中ソが密月時代にこの長大橋が建設着手され、その後、ソ連の技術陣が総引き揚げしたが、中国はその後を引き継ぎ、自国の技術者と資金でもって完成し、毛沢東思想の医大さを世界に大々的にPRしたものだった。

今その巨大な持沢東像が橋脚の真下の中央部、これから橋の上に上って行くエレベーター入口の直ぐ前に立っている。確か13年前にはこんな像は無かったが、その後の毛沢東再評価の流れに乗って、最近になって作られたものだろうか。この国に於いては毛沢東の毀誉褒貶は激しい物であり、中ソの関係でも見られたが、国民、政治の左右への振幅が極端である。

そうしてエレベーターに乗って、ビルの高さで言えば5-6階分位を上昇し、橋の上に出る。幅広4車線の車道を多くの車両が通過している。けたたましい騒音だ。その側道をバイクなども走っているが、以前の中国だったらバイク・自転車が主体で亜ttのが、今は乗用車がその首座を取っている。

この橋は2重構造になっていて、車道の下は先刻列車で通過した鉄道橋になっている。丁度瀬戸内の岡山から今治に懸かる瀬戸内大橋と同じ構造で、2階建てだ。2階建て構造の橋は他にもどこかにあったと思ったが、この長江大橋はその先駆けとなるものだった。

橋の上から先刻の長江を眺める。先刻列車で通過した時はこの川は黄河の上流と思っていたが、済南を通過する黄河は確かその上流は北に大きく湾曲し、山西省の方を流れていた筈で、今見ているこの大河は「長江」という名の通り、揚子江の上流部を形成しているものだ。正に大河。数千トン、数万トンの船舶も航行可能な満々とした水量を湛えていた。
 
 
 
 
一緒に来たツアー参加者の複雑な面持ち。
イメージ 8
 
 
側道をバイクなども走っている。前方は南京市街地。歩道もあるが、何キロもあるこの橋を歩いて渡る人はそれ程いないだろう。
イメージ 9
 
 
遥かなる長江。実に雄大だ。
イメージ 12
 
遠く、遥かに天山山脈に源を発し、中国大陸を横断して流れる大河「長江」。
イメージ 13
 
スモッグか霧雨に霞む南京市内。
イメージ 10
 
 
中山廟の辺りの山も遥かに眺められる。
イメージ 11
 
 
この茫洋たる光景。中国の広さと大きさを感じさせられるものがあった。
イメージ 14