ちゃおチャオブログ

日々の連続

トルコ史跡巡りの旅(4)未明の散歩。

早朝の4時、外がまだ暗い中、イスタンブールの街の散歩に出かける。
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流石の大通りも深夜・未明には交通量も閑散となる。
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通りのあちこちには銀行ATMがあり、真夜中でもお金を下ろす人がいる。HSBCは世界中をカバーしている。
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大通りから路地に入ると人々はまだ寝静まっていて、両側にはぴっしり駐車車両が道路を占領していた。
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もう一つ別の大通りに出ると、こんな場所にRamadaホテルがあった。
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同行のナベさんについては、旅行前、彼自身から早寝早起き、それも極端で9時ごろにはベッドに入り、明け方は4時頃から起きだしている、との自己申告があり、まあ、夜更かしの相手よりはマシだろう、程度にしか思っていなかったが、大誤算があった。と言うか、無申告だった。それは彼の大イビキで、この先1週間、一晩中悩まされることになった。

申告通り、寝つきは早く、先に風呂に入ったナベさんは、当方が風呂から上がるのを待ってたように早くも高いびき。気持ち良さそうに寝息を立てている。まあ、日本時間にしたら既に5時近くになっているので、それも又むべなるかな。当方も隣の鼾に悩まされつつも、疲れが勝り漸く眠りに着くことが出来た。が、しかし、そのナベさんの朝の早い事!自己申告を通り越しての早起きだ!現地時間3時過ぎには、既にもそもそし出している。ウーン、東京時間だったらもう10時過ぎだから、やむを得ないか・・。

この先更に二度寝をすることもできず、4時には起きだして、ホテル周辺を散歩することにした。大体今このホテルがどの辺にあるのか分からず、ホテルで市内地図を求めると、どうもトプカピ宮殿の裏の辺りで、旧市街の中にあるようだ。ホテルの前を8車線以上の大通りが走っていて、深夜でも交通量は絶えない。取り敢えずこの大通りを賑やかな方向に向かって歩くことにする。

所々街路案内板が出ていて、通り名を確かめると「Gran Boulevard」と英語ともフランス語とも付かない表示があって、まあ、謂わば「何とか大通り」を直訳したようなもの。ホテルがこの大通り沿いにある以上、道に迷うこともあるまい。道路の両側には大きな敷地と建物を持った、市乃至官公庁の公共の役所のようだ。どのビルも新しく、麗々しい。小銃を持った夜間警備員も物々しい。道路のこちら側には大きな病院なdもあって、夜間救急搬入のEmergency Signも付いている。左前方、盛り上がった丘の上には尖塔、ミナレットも見えるが、あの辺りがトプカピか・・。

途中行き交った工事人やガードマンに英語で方向を聞いてみても、英語は殆ど通じない。英語が通じない程度は日本や中国並みか。大きな交差点の所でトプカピとは反対側の坂を上って細い路地に入り込む。4-5階建ての建物がビルとビルの隙間もなく連なって立っている。1階は雑貨店、食堂、小間物、洋品店等々、皆下駄箱の雑居ビルだ。が、感心なことにどのビルも1階入り口には呼び鈴が付いていて、中から応答がないとドアは開けられない。全くヨーロッパ的な造りだ。狭い路地には両側にピッタリ車が駐車していて、湖の感じ、パリの裏通りを歩いている感じでもある。

緩やかな坂を上り切った先には又賑やかな大通りに出くわし、銀行ATMや大型店舗などあり、フアーストフードの店など早くも開店準備をしている。歩道にはゴミとか散らかし物もなく、至って清潔な様子だが、数m置きに設置されている大きなゴミ箱を見ると、投棄口からそのま地下の集塵ドームへ落ち込む方式になっていて、ゴミ箱が溢れかえるということはない。日本には無い随分優れたシステムと思ったが、これも又パリ風の集塵システムだろう。こうした街並みを見ていると、トルコは自身で誇るように、矢張り欧州の一員なのか。約3キロ、1時間程の未明の街の散歩を終えホテルに戻ったが、朝食にはまだ大分早い。朝飯前に、朝風呂を浴びることにした。
 
 
 
 
大通りには大型のゴミ箱が定位置にあり、通りにはゴミ一つなく綺麗だ。
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大きな絨毯屋の店先は、照明で煌々としていた。高そうなトルコ絨毯。
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小さな公園の前にはこんな銅像も建っていた。この街に貢献した人かも知れない。
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帰りは道路の反対側を歩いてホテルに戻る。近くに大きな警察署があり、小銃を手にした警察官が多数警備していた。この建物は何か宗教関係の記念館らしい。
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ホテルの横には大きな病院があり、救急受付の窓口には朝早くから開業を待つ多くの人が屯していた。
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