ちゃおチャオブログ

日々の連続

中国・歴史の旅(156)世紀大道(Century Avenue)。

地下鉄世紀大道駅の上は各方面の道路がサークル状に交わっていて、その上には大きなサークル状の空中歩道ができている。
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円周が1キロ程もありそうな大きなサークル状の遊歩道を皆楽しそうに歩いている。
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このサークル遊歩道の東側には上海タワーが建っている。
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この遊歩道を取り囲むように高級ブテック、レストラン、ホテル、等が立ち並んでいる。
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中国人の都市美の設計思想には感心させられる。
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ビルエモットその他1970年代の日本通学者は、東京が21世紀の世界の首都になる、と予言していた。いや、予測していた。確かにその通りで、1980年代にバブルの絶頂を迎え、その当時、東京都だけの地価で日本の25倍もある米国全土の土地を購入できるという途方もない資産価値を形成し、そのまま順調に推移して行ったら、今頃は、未来学者が予言した通りの状況になっていただろう。国民の多くは豊かな老後が約束され、優雅な年金生活を迎えていたに違いない。

処が、そのバブルの絶頂期、政府・日銀による全く不味い政策運営、即ち強烈なバブル叩きを行い、日本経済を奈落の底に落し、各企業、銀行に膨大な不良債権を発生せしめ、大手企業・銀行がバタバタ倒産する中、東証株価も昭和30年代の水準、7000円台まで下落させ、その後の20数年、日本経済をデフレ下のマイナス成長に貶めたのだった。

その間中国はどうだったのか。今でこそ年率7-8%の成長率に落ちているが、毎年二けたの経済成長で倍々ゲームを続けてきた結果、1970年代初頭、日本の僅かに20分の一にしか過ぎなかったGNPは瞬く間に日本に追い付き、追い越し、今(2013年時点)では、既に日本の倍の規模のGNP国となっている。日本が20数年低迷していた間、あっという間に追い抜いて行った。

30年程前、最初にこの上海へ来た時、黄埔江に面するブンドから対岸の夜の浦東地区を眺めたが、目の前は滔々と流れる川面が見えるだけで、対岸は殆ど明かりもない、真っ暗な平地だった。15年位前、浦東地区に来たが、あちこち建築中のビルがあり、その内の一つにユニクロが入っていて、道路を隔てた反対側には台湾資本と思われる太平洋百貨店が4-5階建てのビルの中にあった。

30年前、15年前、そして今日、改めて浦東地区を歩く。様変わりの近代都市になっている。ビルエモット流に言わせれば21世紀の世界の首都は東京ではなく、ここ上海だ。

「世紀大道」。英語で言えば「Century Avenue」。気宇壮大な命名だ。20年後、まさにその名前通りの見事な大通りになっている。
 
 
 
 
ああ、日本には無い様な素晴らしいアベニューだ。
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世紀大道の突き当りは黄埔江。その先にブンド、人民広場の高層ビルが見えている。
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ツインタワーもサークルからは直ぐ目の前だ。
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素晴らしい街並みだ。
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さてそれでは上海タワーに上ってみよう。
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