ちゃおチャオブログ

日々の連続

北九州駆け足訪問記(15)関釜連絡船ターミナル。

殆ど入館者もなく、箱物になりつつある下関タワー。恋人同士にとっては誰からも邪魔されず、格好のデートスポットになっているのかも知れない。
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二人の愛を確かめる「ロック」。これはいつ頃、どこの国から始まったのか、数年前の東名・舘山寺のサービスエリア、中国五台山のお寺の境内、等々、あちこちで見ることができた。矢張りスタートは中国か??
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数組の恋人以外、殆ど客のいないタワーを下りて、次にフェリーターミナルに向かう。
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ああ、関釜フェリーが停泊している。
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韓国のフェリーか・・。中々スマートだ。
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戦前、朝鮮半島が日本の領土で、満州国も平安だった頃、この町は賑わっていた。そもそも明治26年にこの町の高級料亭「春帆楼」で伊藤博文李鴻章が賠償金問題を話し合った頃からこの町は既に西日本では有数で、著明だった。戦前は半島、大陸への玄関口で、東京から弾丸列車でやってきた人々は、ここで連絡船に乗り換え、釜山、大連、青島、上海等へ旅立って行った。

当方も随分以前に寝台列車に乗って大分まで行ったことがあったが、その時、関門トンネルを通過する際に機関車を交換するのか、未明の薄暗がりの中、この下関駅にかなりの長い時間停車し、ガチャガチャ車両交換する音を遠くの夢うつつの中で聞いたこともあった。そんな思い出のある下関だった。

下関タワーを下り、その関釜フェリーターミナルへ行って見ることにした。戦前のことは知らないが、今の国際ターミナルがどんなものか興味もあった。埠頭には韓国名で書かれた大きなフェリーが停泊していた。出航準備をしているようだ。夜この港を出て翌朝には釜山港に着くのだろう。待合室を見ると大勢の韓国人が乗船待ちをしている。国際航路と言っても、その殆どは韓国人が利用しているようだ。所謂買い出しか。

驚いたことに、このターミナルからは韓国釜山行のフェリーしか出ていないと思ったら、中国本土とも往復している。青島行だ。更に驚いたのは蘇州行のフェリーまで出ている。上海呉松(うーすん)港行きではなく蘇州だ! あの揚子江を遡って、蘇州まで行くのか・・。ああ、いつか機会があれば、このフェリーに乗って蘇州まで行って見たい!

戦前の関釜連絡船の時代からは隔世の感のある近代的な下関国際フェリーターミナルを後にし、再びデッキの歩道を歩き下関駅まで戻った。下関は現在も尚、中韓の窓口としての国際都市の面目を保っているのだと。僅か1時間そこそこの街歩きだったが、良い思い出になった。
 
 
 
 
ああ、下関を夜7時に出て、釜山には翌朝8時に到着だ。同じ船が釜山を夜出て、翌朝下関に着岸。ピストン輸送をしているのか・・。料金は?
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待合室で出航を待つ人々。大半が韓国人だ。
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あれ、週に何便か、中国青島へ行くフェリーもある!
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まてまて、ここから蘇州までも行ける!
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戦前の関釜連絡船の時代とは大違いの近代的、国際フェリーターミナルを後に、陸上デッキを歩き、下関駅に戻った。
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