ちゃおチャオブログ

日々の連続

補陀落渡海への旅(114)紹興・府山「飛翼楼」からの眺め。

山頂までは簡単に登れると思っていたが、30分程かけて漸く山頂に到着した。立派な石造りの楼閣があり「飛翼楼」と名付けられている。
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府山山頂の「飛翼楼」。
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建物の前の空き地では若い女性が体操のようなものをやっていた。
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この楼閣の外壁には突起のフックがうめこまれていて、バッグとか、上着をこのフックに架けることが出来る。中国人らしい発想だ。
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ああ、向の小山があんな下に見える。
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向うの小山の山頂にも楼閣が建っている。
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小山の向こうに見える紹興中心街。
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街中からこの小山「府山」を眺めた限りでは、200mも無い様な低い丘にしか見えなかったが、一歩山中に足を踏み入れると、立派な深山の趣で、深い木立が全山を覆っている。街中にあって、街とは全く違った別世界を作っている。昨夜の城市広場で賑やかに踊っていた人種と、今朝この山中で静かに演武している人達とは、同じ紹興に住んでいても人種が違うのだろう。

山頂まで簡単に登れると思って登りはじめたが、想像していたよりも山は深く、見ろ物も多い。時々林間から眼下の街並みが見えるのも楽しみだ。中国のこうした公園というか、街中の小山では、大体どこでも石畳の山道、歩道がしっかり作られていることであり、歩行者、登山者に優しい。その最たるものは山東省にある泰山で、これは高さ1500mを越える山頂まで、麓の登山口からずっと幅広の石の階段が作られていて、それは紀元前、今から2000年以上も前の、始皇帝の頃から石の登山道が作られていた、というから驚きだ。

山登りに対する日本人と中国人の大きな違いは、日本人はスポーツや自己鍛錬の一環として山に登るのに対し、中国人のそれは基本的には観光物見登山であり、観光や信仰、主だった著名な山頂には必ず道観やら仏教寺院があって、人々は山に登るとともに、その宗教施設に捧げものをし、会食し、風景を愛で、下山する。山は若い人だけのものではなく、高齢者も一緒に楽しめるように、立派な石段が作られているのだ。過去回った中国五山はどこもそうなっていた。

漸く山頂に到着した。下から見えた楼閣は黒御影石造りの立派なもので、「飛翼楼」という名前が付けられていた。如何にも中国風な楼閣で、山頂にこうした建物や四阿を作るのは中国的だ。石の登山道と言い、こうした建物と言い、中国人の心の余裕、豊かさが感じられた。

楼閣の前の広場に若い女性が4-5人集まって、エキササイズのようなものをやっている。近くの主婦のようだが、誘い合って毎朝来ているのか。楼閣の外壁には物を掛けられるような突起物が出ていて、彼女達もハンドバッグ等をその突起に引っかけて朝の体操をしている。話しかけたいとも思ったが、どの道言葉が通じないので、彼女達に話しかけるのは止めて、眼下の紹興市内を一巡する形で、360度の平面を眺めた。春霞なのかスモッグなのか、遠方に見える高層ビルは半ば霞の中にぼんやりとしか見えなかった。スモッグでないことを祈るが・・・。
 
 
 
 
春霞なのかスモッグなのか霞んで見える。
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昨日登った五重塔があの丘の上に見える。
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うーん、これでは超高層ビルも形無しだ。
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眼下の城市広場、国際展示場の屋根も間近に見えるが・・・
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広がる紹興の街並みと運河。
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紹興も大きな街だ。
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あそこには又別の五重塔がある。
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魯迅周恩来王羲之も眺めたであろうこの景色を胸に刻み、下山する。
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