ちゃおチャオブログ

日々の連続

補陀落渡海への旅(121)王羲之筆塚へ。

紹興駅から歩いて10分程度の場所に王羲之の筆塚があった。
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さあ、これから丘を登って行く。それにしても人が少ない。
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途中の休憩所にも訪問客は全くいない。
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ああ、遠方の芝生の上で子供達が遊んでいる。
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近所の子供達が公園に遊びに来ているようだ。
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ああ、山頂の五重塔だ。
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紹興駅からほど近い場所にちょっとした小山があり、五重塔が建っている。聞いたところによればそこは王羲之を祀る塔が建っていて、蕺山(しゅうざん)という名前の丘らしい。奇しくも昨夜自分が泊まったホテル「蕺山賓館」と同じ名前だ。この漢字「蕺」は日本語にはないが、調べると山に生えるドクダミらしい。

兎も角新幹線の4時半までには充分過ぎる程の時間がある。お昼はまだだが、あの丘に向かって歩いて行けば、途中にどこか食堂があるかも知れないし、その王羲之の筆塚の公園の中に何かキオスクみたいなものがあるかも知れない、と丘に向かった。

駅からは歩いて10分もかからない程度の近い距離に蕺山公園はあるが、道路の途中にも公園内も食堂は見当たらない。どうもこの辺りは紹興駅近くとは言え、新興開発区のようで、整然とした団地やマンションが続くだけで、ごみごみした街並みはない。従って小さな食堂や屋台などは無いのだ。公園も、先ほど訪問した越王䑓同様、殆ど訪れる人もなく、キオスクのような気の利いた出店もない。近所の子供達が原っぱで遊んでいる程度だ。

しかし訪問客がいないとは言え、公園は小奇麗に整備されていて、雑然としたところはない。お腹の空いたのも忘れ、そのままズンズン丘の上の塔まで行く。今朝登った府山と比べたら、ほんの40-50mの高さで、塔まではものの10分もかからない。全くの無人の筆塚だ。先刻の越王䑓と全く同じ状況だ。中国の人はこうした歴史的史跡には余り関心を持たないのか・・。

五重塔の入り口に管理人が暇そうにしていたので、塔に登ることにしたが、その前に入口近くに置かれた石碑に気付き読んでみた。とそこにはこんな風な記載があった。「蕺山の嶺に以前は王家(王羲之)の塔が建っていた。・・しかし20世紀中旬、中華に侵攻した日軍により打ち壊されてしまった。今に至るも切歯の思いだ。そこで2003年、紹興市政府は、今の場所にこの塔を再築した。・・・」

うーん・・・、日華戦争当時、日本軍が歴史ある建造物を壊してしまったのか・・。しかも、王羲之と言ったら、漢字を使用する民族の神様のような人、書聖王羲之の筆塚を・・・。この石碑がどこまで真実を伝えているか分からないが、この場所を訪れる人がこの石碑を読んだら、真実と思うだろう・・。少し暗澹とした気持ちになって、塔の階段を登った。
 
 
 
これは筆塚ではなくて文筆堂か・・。立派なものだ。
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入口に管理人がいる。中に入れるようだ。
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と、その前に石碑に何か書いてある。謂れを見てみよう。
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何々、中国に侵攻してきた日本軍により、元の塔が打ち毀されたと??
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うーん、「至今切歯」か・・・
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日本軍が書聖王羲之の筆塚に対し、そんな破廉恥なことをしたとは思えないが・・。
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