ちゃおチャオブログ

日々の連続

上海ー新加坡ー吉隆坡ー曼谷4都旅行記(87)民主記念塔周辺で。( แถว ๆ อนุสาวรีย์ประชาธิปไตย)

シリキット王妃記念館前には既に見終わったのか、これから入ろうとしているのか、大勢のイスラム教徒がいる。彼女たち、マレーシアからやってきたのか、インドネシアからか・・。
 
 
 
民主記念塔の前の広場では多くの人だかりがしているが・・
 
 
 
今午後の授業が終わったのか、大勢の高校生がいる。
 
 
 
この辺りは学校が多いのかも知れない。
 
 
 
毎日、立ち食い屋さんも大繁盛だ。
 
 
 
 
日本人なら大体誰でも知っていることと思うが、日本の国道の起点は、日本橋である。これは江戸時代から始まったことで、東海道五十三次の起点となっているし、里程標はここをゼロとしてスタートする。江戸時代には中山道の起点が江戸城平川門だったり、甲州街道半蔵門だったりと、起点はまちまちだったようだが、今は日本橋に統一されている。丁度、東京駅に向かう全ての列車、電車が「上り」の表示になるようなものである。
 
こうして見ると、日本の道路整備も古くからおこなわれていて、大したものだ。ローマ時代の石畳の舗装道路には敵わないが、既に平安時代の昔には、更級日記に見るように、従者を連れただけの女性一人で遥か遠方の常陸の石岡から、下総、木更津を通り、走水(当時の東京湾)を渡って相模に出、京の自宅まで大旅行が出来る程に整備されていた。
 
タイの国道が何時ごろから整備されたのか、詳しくは知らないが、国自体が新しいので、それ程古い歴史はない筈だ。物の本によれば、タイで最初の国道が建設されたのは、ラーマ4世の頃で、1862年、バンコク市内に最初に建設された、「タノンマイ」(新道という意味)で、現在は「タノンチェルンクルン」(????????????・繁栄する王都の道路)との名前でバンコク市内の重要な道路となっている。
 
シリキット王妃記念館から出ると、この辺り、学校が多いのか、多くの高校生が屯している。と言うか、放課後のほっとした雰囲気を漂わせている。日本同様、タイの高校生も受験勉強で苦しんでいるのかも知れない。そんな高校生を眺めながら、ふと気が付くと、この「民主記念塔」の前に、道路標識がある。よくよく見ると0メートルの表示。「 หลัก กิโลเมตร  0」(ラックキロメーター0」と出ているではないか! ああ、ここがタイの道路標識(หลัก กม.)の起点だったのか。偶然とはいえ、こんな形で、日本で言う処の「日本橋」を発見できたのだ! ラッキーな思いだった。
 
さて、夕方にはまだ早いが、一旦ホテルに戻ることにしよう。夜はオーンさんと食事をすることになっている。この珍しい里程標、「タイの道路の起点」をカメラに収め、先刻乗船したフェリー乗り場に向かい、セーンセープ運河(คลองแสนแสบ)の川風に当たり、ホテルに戻ることにした。
 
 
 
 
ああ、広場の前にはこんな看板が出ている。「ทางหลวง」(ターンルアン)、タイの高速網だ。
 
 
 
あれ、この標識は何だ? 「หลัก กม.」(ラックゴーモー)、タイの里程標じゃないか!
 
 
 
ああ、ここがタイの全国道路の起点になっていたのか! ゼロmの表示がある。随分珍しいのを発見した。
 
 
 
さて、又フェリー乗り場に向かうとしよう。正面はラーマ3世寺院。
 
 
 
ああ、前方には王宮地区、「รัตนโกสินทร์ 」(ラタナコーシン)を守る堡塁跡も見える。http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/500/33/57/36/500_33573653.jpg?1400148936
 
 
 
 
さて、これから又フェリーに乗って、ホテルに戻ろう。今回は外人の観光客も多い。