ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(33)ポーンサワン、町の市場へ。

ゲストハウスの前のレストランでビールを飲んでいると、大型のツアーバスがやてきた。
 
 
 
ほー、看板を見ると、ルアンプラバンからこの町(シェンクワン)を通り、ハノイまで行っている国際ツアーバスだ。乗客の殆どはファランだ。
 
 
 
シェンクワン県(ポーンサワン)は、ジャール平原の全体を占めている。
 
 
 
 
町には、当時の内戦時の鉄砲の弾などを飾っている店もある。観光の売り物にしている。
 
 
 
こんな平和そうな町が、一時は人殺しの修羅場になっていた。
 
 
 
あれ、町にはこんな看板も出ていた。「ケンコーコム」。タイの田舎でよく見たが、こんな山奥の街まで進出している。これは確か、楽天かどこかの子会社だ。
 
 
 
 
 
 
ホテルの外の大通りに着飾った少数民族が数人歩いていたので、最初の端(はな)からこんな光景を見せられて、驚きとともに感動したのだが、その後又通りは、無人に近いような状態になって、時々バイクが通り過ぎる程度だ。この町には、タイやビエンチャンを走っているツクツク(ตุ๊ก ตุ๊ก )や、サムロー(สามล้อ)、ソンテウ( สองแถว)などの公共交通機関はない。それだけ人口も少なく、人の移動も少ない、とも言えるが、人々はバイクの後ろに乗ったりして、需要も無いのかもしれない。

ゲストハウスの道路に面した部分はレストランになっていて、ぼんやりビールを飲んでいると、そこへ突然大型ツアーバスがやって来た。中を見ると外人旅行者、ファランがかなり乗っている。どこからどこへ行くバスかと看板を見ると、何とそれはルアンプラバンからこの町を通り、ハノイまで行く、国際ツアーバスだ。何時間かかって、この悪路を走り続けるのだろう・・。しかし、この町からハノイが案外近い場所にあることを改めて認識した。

この町、バスの看板にも書いてあったが、ラオス語ではシェンクワン(県)というが、辻政信はこの町からハノイ方面に向かって消息を絶ったという。地図で見ると確かにバンビエンやルアンプラバンよりもハノイの方が遥かに近いことが分かる。当時の混乱期、参議院職にあった彼が、何故にこんな山奥の地にやってきて、行方不明になったかは大きな謎だが、矢張り彼は血に飢えていた、一人の人間だったのかも知れない。

先刻、バスターミナルからこのホテルまで運んでくれた親父はこのホテルのオーナーで、彼に言って、明日1日、ジャール平原の観光をお願いする。またまた足元を見て、50ドルと吹っかけてきた。冗談じゃない、この田舎町で50ドルがどれ程の価値があるか! 当方、30ドルで押し通したところ、彼も40ドルまで下げてきた。そこで35ドルで手を打つことにした。これで明日の問題は解決した。親父に市場(マーケット)の場所を聞き、そこへ行くことにした。マーケットはその町の顔を反映している。少なくとも、庶民生活がどんなものか、想像もできた。この町の市場は、それ以前の物々交換の時代から漸く貨幣経済に移行してきた直後の様相に見えた。
 
 
 
 
この町の市場、タラート(ตลาด)にやって来た。
 
 
 
ああ、流石に果物は豊富だ。
 
 
 
生鮮食品、食料が多い。一次産業が主だ。
 
 
 
果物がおいしそうだ。
 
 
 
コメの国だけあって、穀物も豊富だ。
 
 
 
あれ、これは何だ???竹籠の中に入っているが・・