ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(56)朝食を食べ、メコン河畔へ。

元旦の今日は国立博物館は休館だった。
 
 
 
プーシーの近くの町の食堂へ行く。
 
 
 
ここの屋台食堂が美味しそうだ。
 
 
 
ああ、珍しい。この店では日本の海苔とおなじようなのが売られている。
 
 
 
その海苔を1枚ちぎって麺の中に入れて食べる。日本の海苔ほどの香りはないが、海苔の味には変わりなかった。
 
 
 
プーシー寺院の入り口では、これから参詣に行く人用に捧げの花なども売られている。
 
 
 
 
 
「プーシー」の霊廟の前の岩場から今年の日の出を拝み、山を下りる。折からその長い石段はこれからお参りに来るラオス人で一杯だ。狭い参道を蟻の列になって登って来る。丁度日本人が元旦に明治神宮や各地の産土神護国神社にお参りに行くようなものかも知れない。タイの場合、お正月は佛暦で、新暦の今日は、一部の外資系企業とか、西洋かぶれした人の一部がお祝いするだけだが、ラオスは同じ仏教国でもタイとは少し違っている。長らくフランス植民地下にあり、知らず知らずそうしたフランス人の新暦の習慣が伝染したのかも知れない。

参道を下り降りた正面に国立博物館があるが、今日は流石に元旦、休館になっている。ここの博物館は以前の訪問時には入ってなかったので、今日は時間があるので入ってみようと思ったが、流石、この国でも元旦は休みになっている。3年前のプノンペンで、元旦の王宮は午前半休で、午後の2時からオープンされるとのことで、王宮前の広場で横になり、芝生の上で少しまどろんだが、その僅か数分間のほんのちょっとしたまどろみの間に、横に置いたショルダーバッグが置き引きに遭い、中のカメラも一緒に盗まれ、それこそ、カンボジアの秘境、奥地の殆ど旅行者も行かないような貴重な探検写真が全てパーになってしまったが、矢張り、この国も元旦の公共施設は休みだった。ラオスカンボジアも元フランス植民地との共通項で結ばれている。

博物館に入れないので、近くの屋台で朝飯を食べることにする。この辺の庶民の通りは、いつもと変わらぬ朝だ。新暦で祝う盆も正月も彼等には関係ない。4ケ月後にやってくる佛暦で元旦を祝えばよい事だ。当方もその庶民に混じって朝食の麺を食べる。珍しいことにこの店では海苔が売られている。乾燥海苔だ。その海苔の膜の中にアミか小エビも一緒に天日干しにされている。以前タイで似たような乾燥海苔を見たことがあったが、ラオスでは初めてだ。元々ラオス人は乾燥海苔など食べていなかったに違いない。ここは中国に近いから、中国から輸入されたものか・・。その海苔をワンシート買い、ちぎって麺の中に入れて一緒に食べる。どの様にして製造された海苔か分からないが、浅草海苔のような磯の、海の香りはしなかった。

朝食を食べ終え、メコンの河岸に出る。先刻プーシーの小山の上から真下を流れるメコンを見て、急に間近に行って見たいと思った。メコンを間近に見るのは今回で何回目だろう。一番最初に見たのはもう10年程前になるか・・。タイの国境の町ノンカーイからオーストラリアの作った友好橋、Friendship Bridgeをバスで渡り、ビエンチャンへ最初にやってきた時だったが、その時、真下を滔々と流れる大河を見て、感動した。ビエンチャンでは川沿いのホテル・オーキッドの4階から朝夕川を眺め、昼は又岸辺に出た。川の真ん中がタイとの国境線になっているが、川底の上がった河原で、昼から宴会をしているタイ人グループとの楽しい出会いもあった。

その後も、このルアンプラバンから更に上流をタイの国境から二日間かけて、スローボート、スピードボートを乗り継ぎ、この町にやってきたり、又は逆にサイゴンの近郊から川船に乗ってビエンチャンまで川を遡ってきたり、或は、トンレサップ湖を巡ったりと、このメコンにまつわる思い出は尽きない。メコン川。แม่น้ำโขง (メナム・コーン)。今目の前を悠然と流れている。10年に亘る自分のインドシナ半島の旅行は、実はこのメコンを軸に、その上下左右、周辺をうろちょろしていたに過ぎなかったのか・・・。
 
 
 
 
朝食後、メコンの川べりにやってきた。
 
 
 
ああ、先刻プーシー山上から眺めた渡し場だ。
 
 
 
ああ、今渡船が出ていく。
 
 
 
メコンの両岸に住む人々の良い足となっている。
 
 
 
うーん、メコンを眺めていると、今までの10年間、いろいろなことが思い起こされる。