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日々の連続

相模国分寺跡を往く。(2)高野山・真言宗「相模国分寺」周辺で。

大欅の角から1-2分坂を登った場所に現代の「相模国分寺」がある。
 
 
 
高野山真言宗のお寺だ。
 
 
 
本堂の横に鐘撞き堂がある。
 
 
 
ああ、これが重文の梵鐘か!
 
 
 
奈良の梵鐘、筑紫の梵鐘、を思い出した。
 
 
 
 
街の案内板によれば、相模国分寺跡はこの超高層ビルから歩いても5-6分の丘の上にある。そうだ、折角ここまで来たのだ。国分寺跡を見て行かぬ法はない。切通のような坂を上った直ぐの場所に大きな欅が茂っている。如何にも歴史ある町の歴史ある大木の風情である。案内文を読むと、この大欅は神奈川県の天然記念物に指定されている。然しながら、随分古いと思った大木も樹齢は凡そ300年とのこと。なあんだ、そうすると国分寺が建立された1200年前から比べると、随分新しい木だ。尤も300年前と言うと、国分寺自体はもう既に打ち毀されて、跡地しか残っていなかっただろうが・・。

根本の案内図を見ると、左手凡そ500mに相模国分寺跡、右の坂を200m登った先には高野山真言宗相模国分寺」と案内されている。その境内には重要文化財の梵鐘が奉納されているとの案内。少し寄り道になるが、このお寺、現代の国分寺を回ってから、元祖国分寺へ行くことにしよう。

10数段の石段を登ると、「相模国分寺」の本堂が正面に見える。その隣に鐘撞き堂があり、大きな梵鐘が垂れ下がっている。見るからに大きい。奈良東大寺の大鐘程の大きさはないとしても、国宝の福岡観世音寺の梵鐘よりは大きいだろう。どんな音がするのか撞けないのが残念だが。

銘板を見ると、この鐘は鎌倉時代の中頃、仏師物部国光により鋳造されたとある。折しも現行の役の頃、鎌倉仏教の最も盛んな頃作成奉納された梵鐘だ。当時は既に相模国分寺も廃寺になっていて、それを継承する形で、現在の国分寺がこの場所に建立されたが、海老名一族の系統を継ぐ寄進者源季頼はこの寺の創建にも関わっていたのかも知れない。


この寺の直ぐ近くに市内を一望できる公園があるという。僅かな距離だ行って見よう。更に坂を登り、高台の上に出る。見晴らしが良いのか、この高台の丘も今は全て開発しつくされ、個人の分譲住宅が立ち並んでいる。そうした住宅地に押しやられるように、崖の上に小さな公園があった。ひさご塚公園と言うのか、公園内には相模八景を模した置き石が8個程並んでいた。舟石もあり、奈良時代には相模川がここまで広がっていて、湊もあったようだ。正面に見える大山を模した波石。どれも見事な大石だった。
 
 
 
 
いろいろ由来が書いてある。今から800年の昔の鎌倉時代の鐘だ。
 
 
 
近くに相模八景の石を配した公園があると言うので、行って見る。
 
 
 
 
舟石。嘗ては港がここまで入り込んでいたのか・・
 
 
 
ああ、この石は珍しい。大山を象徴している。
 
 
 
木立に隠れて市内は良く見えないが、先刻の超高層ビルが前方に見える。