ちゃおチャオブログ

日々の連続

相模国分寺跡を往く。(6)大山に沈む夕日。

ショッピングモールではファーストフードの店しかなく、駅に向かって歩く。
 
 
 
ああ、駅の向こう側に大山が見える。
 
 
 
うーん、流石に名山だ。
 
 
 
大戸屋で食事を終え、外に出ると、今しも夕日が沈むところだった。
 
 
 
ああ、夕方のこのシルエット!
 
 
 
今まさに夕日が大山に沈んでいく。
 
 
 
 
 
横浜駅を出た新幹線からは暫らくすると右手窓に円錐形をした形の良い山を見ることができる。霊峰・大山だ。同じ漢字で「大山」と書く山は、伯耆鳥取)にもあり、そちらは「ダイセン」と読むが、こちら相模の山は「おおやま」と呼ばれている。二つとも奈良朝以前から全国に知れ渡った霊山で、殊、相模の大山は東大寺初代別当が幼少の頃、この山の寺で修行したことでも有名で、それにちなんでかどうか、江戸時代以降「大山詣」が盛んに行われるようになり、この山の中腹にある阿夫利神社は参詣を兼ねた遊山客で賑わっていたという。この山の麓のケーブルカー駅周辺の参道は、今でも当時の賑わいを残している。

当方も過去3回大山には登ったことがある。1200m程の山だから当時の脚力からすればケーブルを利用するまでもなく容易に大山寺境内を通り過ぎ、阿夫利神社にお参りし、山頂を目指したが、その山頂からの眺めは素晴らしいものだった。前に視界を妨げる何物もなく、眼前に開けた相模野の平野、弧を描く相模灘の波頭と太平洋。その先の鎌倉のちょっと入り組んだ入り江と三浦半島、右手下には伊豆半島がずっと海の向こうに伸びている。丁度新幹線からこの山が真正面に飛び込んでくるのと同じように、山頂からは360度の大パノラマが広がっていた。

今日半日海老名を歩き、相模国分寺、旧国分寺遺跡、旧尼寺遺跡、そのどこからも正面にこの大山が眺められ、万葉の人々は流石美的感覚に優れ、この山が最も美しく眺められるこの土地に国府を置き且つ国分寺を建立した。朝な夕なこの山を眺め、祈り、気象を観測したに違いない。

街中に再築された七重の塔を眺め、駅に戻る途中の目に飛び込んできたのは、今しも西日に照らされた大山のシルエットだった。神々しい、としか表現のしようのない美しく均整の取れた山並みだった。今はビルが邪魔になり、視界を妨げたりしているが、この美しさは千数百年前の万葉人が朝な夕な眺めたであろう情景と変わらぬ美しさだった。

駅の西口まで出て、長い跨線橋の上にまで上がり、陽が沈むのを眺めた。いつか時間を越え、自分が万葉人になったかのような気分を味わった。

 
 < 相模峰の 小峰見かくし忘れ来る 妹が名呼びて吾こねし泣くな >

                               
                                                完
 
 
 
いま、1300年前と同じ情景を見ている・・。
 
 
 
太陽は大山の先、丹沢の山系に沈んでいく・・
 
 
 
夕暮れ時、大勢の通勤客が駅に向かう。
 
 
 
ああ、こんな駅の近くにリコーの本社(事業所)があったのか・・。現在のマンモス、現代の五重塔に違いない。
 
 
 
夕刻、数千人のリコー社員は帰路について行く。
 
 
 
数千年に亘り、人々の営みを見続けて来た大山。