ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(101)ルアンナムターの郊外、農家の裏庭で。

子供達が行く方向、住宅の裏側に回ってみる。
 
 
 
住宅の裏側には広々とした農地が広がっている。
 
 
 
ああ、子供達が泥遊びをしている。
 
 
 
ずーっと向こうの山のはまで農地が続いている。
 
 
 
煙棚引く田園風景。
 
 
 
ああ、丁寧な野菜栽培もやっている。
 
 
 
あのおばさんはあそこで何をしているんだろう。
 
 
 
 
 
ビールも飲み終えた。子供達の案内でこの家の裏庭を見せてもらう。言葉は通じないが、子供達の走って行く方向へ歩いて行くと、この家の裏側に出た。自転車で国道を走っている限りでは見ることのできなかった、普通の民家の普通の営み、家畜は家族の一員であり、家畜と共にする日々の生活を垣間見ることができた。多分戦前の日本でも、田舎の生活はこんなものだったろう。

ニワトリが放し飼いになっているのは、大体どこの家でも一般的だ。それは昨日訪問した中国雲南省「勐腊」(メンラ)の町の民家の庭先でも同様の光景だったし、タイやカンボジアへ行けば、どこでも普通に見らる光景だ。ただニワトリは日本で見られるような白い羽をしたブロイラーのような鶏ではなく、烏骨鶏とか軍鶏もようなカラフルな、如何にも逞しそうな鶏で、白いニワトリは殆ど見られないと言っても良い。

そうした鶏が当方の足元に近づいて来たり、何を警戒してか急に逃げ出したりして、又その先で「コッコー」と頭を空に向けて大声で鳴いてみたり、その動作行動は将に家畜、家禽の表現がぴったりだが、そうした鶏の行動と、この子供達の行動とはどこか似通った点があり、ローレンツ博士ではないが、どうもこうした国々の家禽は子供達の行動を学習して動き回っているのではないか、とすら思えた。全く微笑ましい光景である。

裏庭では牛が木に繋がれていたり、ヤギが飼われたり、又豚小屋があったりして、家畜は家族の一員との感を強くしたが、しかしこれ等はあくまで家畜であり、行く行くはこの子供達の学資の足しにしたり、何かのお祝いの際にほうむられたり、或は今晩のおかずの為に絞め殺される運命にあるのだ。それを承知の上で子供達も鶏や家畜達と遊んでいる。又、家畜もそうした別れがある自身の運命を半ば知った上で、人に甘えているかに見えた。日没に近い夕暮れ時、家畜達の賑やかな晩餐があちこちで繰り広げられていた。
 
 
 
 
ああ、鶏に餌やりをしている。
 
 
 
ああ、随分沢山の鶏を飼っている。
 
 
 
む、黒豚もいるぞ。
 
 
 
ああ、豚と鶏が仲良く餌を啄んでいる。
 
 
 
 
 
ああ、裏庭には牛も繋がれている。
 
 
 
ああ、隣の家にも同じように牛やヤギが飼育されている。
 
 
 
ヒルか水鳥も放し飼いだ。
 
 
 
これは又何という名前の鶏だろう・・