ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(109)5年ぶりのチェンライ。

チェンコンからチェンライへ向かう途中の風景。
 
 
 
個人住宅か学校なのか、リッチな建物が建っている。
 
 
 
ああ、水田か養魚場か・・。
 
 
 
これから稲作が始まる。田に水が張られている。
 
 
 
まだお正月なのに、日本よりは4-5カ月も早い田植えだ。
 
 
 
漸くバスはチェンライバスセンターに到着した。ドアの入り口「ยินดีต้อนรับ」(インデートーンラップ)、「いらっしゃいませ」、と書いてある。
 
 
 
 
 
チェンライに来るのは2回目である。前回いつ来たのかはっきりは覚えていないが、取り敢えずタイトルには「5年前」としておいた。チェンコンからメコン下りをしたのが3年前と「すれば、ここチェンライに来たのは、それよりも2年くらい早い時期だろう。当方がタイ通いを始めてから凡そ8年になるが、そのタイ通いの早い時期だった。

「タイ通い」など大げさな表現をするが、この8年間でタイを訪問したのは20回もないだろう。1年平均すれば、2.5回程度か。つい最近のニュースで24歳の日本人ビジネスマンが代理出産の目的でこの2年間に60数回タイを訪問したり、インドまで行っている、と報じられているが、1年を平均すれば、毎月3回位往復していることになる。パイロット、スチュワーデス程ではないが、すごい回数で、一般的なビジネスマン以上の回数だ。ビジネスマンと言うが、一体何を生業としているのだろう。

5年前の記憶になるが、このチェンライからバスでメイサーイへ行った際、市街地の外れの三差路の大きな交差点に、ここチェンライ王国を興したメンライ王の大きな立像が建っていて、バスの中の若い男性が突然立ち上がって、そのメンライ王に向かって、崇拝の祈りをしていたが、暫らく走ったメイサーイとの間の最初のバスチェックで、乗り込んできた警察官にその男性は下車させられたこともあった。当時、チェンライーメイサーイ間には3か所位のチェックポイントあって、バスの中に警察官が乗り込んできて、個々の乗客の身分証明書をチェックしていた。この区間に限らず、タイ北部ではあちこち同様のチェックポイントが置かれていたが、今、チェンコンから乗って来た国道にはそのようなチェックポイントはどこにもなく、この5年間で治安は大幅に改善されたのだろうか。

タイに来ていると季節感が分からなくなるが、バスの外を見ていると、あちこちで稲作を開始する準備をしている。張田に水を張って、苗木の植え付けを待っている段階だ。今はまだお正月だから、日本の作付よりは4か月以上も早い。尤も、この国では二期作も可能だから、これは二期目の植え付けかも知らないが・・。

先刻バスに乗る前に、豚の皮を揚げた「ケープムー」を口にしながら外の景色を眺めているが、そろそろチェンライに近づいてきた。5年前のメンライ王の立像を見つけるべく窓の外に目を凝らしていたが、道路が違うようで、立像に出会わずに市内に入った。旧市街の狭い道路を抜けて、この町の中心地にあるバスセンターに到着した。5年前と変わらない。広場の目の前には5年前に泊まった、ホテル「オーキッド」もある。この町は大きな町だから泊まるホテルには困らないだろう。時間もまだ早い。ちょっとホテルの様子を見て来よう。
 
 
 
 
運転席の後ろには、例のごとくお守り札が幾つも貼られている。
 
 
 
チェンライバスセンター。見慣れた風景だ。
 
 
 
大きな市だから、バスの出発を待つ人で賑わっている。
 
 
 
ああ、駅前には以前泊った「オーキッド」ホテルもある。右の白いビルがそれだ。
 
 
 
今回はちょっと別のホテルを探してみようか・・。
 
 
 
駅周辺には幾つものゲストハウスがあるが、お正月休暇でどこも満杯。空いていても、足元を見られ、値段を吹っかけられる。
 
 
 
已む無く、5年前のホテルの空き部屋にチェックインした。