ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(112)ゴールデントライアングルの岸辺で。

ああ、5年前と同じ場所に黄金の仏像が鎮座している。
 
 
 
これだけは何年経っても変わらない。
 
 
 
しかし周辺が以前よりは大分賑やかになっているようだが・・。
 
 
 
 
ああ、対岸に立派な建物が建っている。
 
 
 
5年目にはこんな建物は無かったが・・
 
 
 
ああ、そうか、これが国際カジノか・・。
 
 
 
 
 
5年ぶりの「ゴールデン」。この前は夕方近くに来て、メーサイのホテルへ戻るのに、バス便が終了していて、困ってしまったが、同じ方向に帰るタイ人の学生と相談し、ピックアップトラックを300バーツで交渉し、メーサイまで送ってもらったが、今日はまだ午前中の時間、チェンライに戻るのには全く心配はない。

マイクロの殆どの乗客は手前のチェンセーンの街の中心部で降りてしまい、ここ「ゴールデン」まで乗って来たのは当方一人。このマイクロは30分後に又チェンマイに引き返すようだ。30分? 30分では短いだろう。折角来たのだから、もう少しゆっくりしたい。山さんへのお土産のT-シャツも探さなければならない。次のマイクロは午後になるが、ツクツクでチェンセーンまで行けば、後は何とかなるだろう。

「ゴールデン」は5年前と比べたら多少は賑やかになっていた。午前中という時間帯もあるのかも知れないが、観光客の数も多い。ここの目玉「黄金の仏像」は以前と同じ場所に同じように鎮座しているが、周りの飾りとか建物、ここからのメコン川の眺め、更にその先の「三角地帯」の風景は以前と変わらない。が、対岸の中州には確か建物などは無かった筈だが、いつの間にか金きら金の建物ができている。かの有名な国際カジノだろう。

<5年前の旅行記:(31) Golden Triangle (黄金の三角地帯)、
http://blogs.yahoo.co.jp/ciaocommodore/56336076.html >

「国際カジノ」。そうここは以前は麻薬で有名だった。タイ、ラオスミャンマーの国境が接する地帯で、中州などは治外法権、無法地帯になっていた。何とか言う麻薬王がこの一帯を支配していて、住民にケシ(芥子)を栽培させ、阿片、ヒロポン等の麻薬を大っぴらに売りさばいていた。コロンビアのメヂテインカルテルと東西を二分していたのだ。その何とかいう中国系麻薬王は莫大な富を築き、国家権力も手を出せないほどであったが、その富を「Golden」と言うのか、その富の元となるケシの花を称して「黄金」と言うのか知らないが、この地帯は第2次大戦後間もなくの頃より、この様に「Golden Triangle」呼ばれていた。

今は国際協力で麻薬王も追放され、農民にとっては「黄金のケシ」も全て焼き払われ、大豆、トウモロコシ、その他健全な換金作物に代わっている。その一つが「カジノ」であり、人々は麻薬によって廃人になるよりは、財産が増えるかも知れない或はゼロになるかも知れない賭け事に一喜一憂する方が、余程か健全的なのだろう。今は川向こうにそうした殿堂が建っていた。
 
 
 
 
 
上流がミャンマーだ。
 
 
 
下流ラオスの中州が間近に見える。
 
 
 
ああ、ここでは川の流れも激しい。
 
 
 
上(北)の中国を含め、流域の4カ国はこんな風に絡み合っているのか・・。
 
 
 
右の太い川が中国雲南省から流れ下るメコン川だ。右側がミャンマー
 
 
 
二つの川は丁度ここで合流する。三角州には「Paradise Resort」があるのだ。