ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(114)「ゴールデン」からチェンセーンへ。

「ゴールデン」の観光も終え、土産も買ったので、バスストップの場所に戻りながら、地元の人を眺める。料理に使うのか、干物にするのか、川エビの頭を取っている。
 
 
 
タイでもラオスでも子供達は貴重な労働力だ。
 
 
 
全く素直な子供達で、お母さんも助かるだろう。
 
 
 
ああ、シャトルバス、ヴァンが停留所に止まっている。・・なんだ・・、1時出発か・・
 
 
 
近くにいたドライバーに聞くと、10時発が客待ちで遅れているとのこと。早速乗り込む。
 
 
 
10分も掛からないでチェンセーンの町へ着いた。ここで一旦下車することにした。
 
 
 
 
「ゴールデン」での凡そ1時間程の散歩は瞬く間に過ぎた。5年前の思い出に浸ることもできた。山さんへのお土産も見つけた。後は帰るだけだ。先刻の停留所へ戻ると、マイクロバス、当地ではヴァンと呼んでいるが、車が止まっているではないか! ラッキー、これで帰れる。午後まで時間待ちしなくても済みそうだ。

車のそばでブラブラしているドライバーに聞いてみると、本来は10時出発だが、乗客が誰も居ないので、客待ちしているとのこと。当方からしてみれば、間に合ってよかったのだが・・。そのヴァンに乗り込み、ドライバーと一緒に客待ちすることにした。暫らく乗客を待つが、誰もやって来ない。当方一人のみを乗せて、チェンセーンに向けて出発した。ここまでやって来るタイ人は自家用車で来るか、何人かのグループツアーでやってくるかしているので、当方のように、一人で公共の交通機関を利用してやって来る人は少ないのだろう。

「ゴールデン」からチェンセーンの街まではメコンの川沿いの街路樹の茂った道路を凡そ2キロ程南下すると、街の大通りの突当り、川の波止場と言うか、船着き場に至り、そこから少し入った所が街の中心部だ。ヴァンはその中心部のマーケットに近い場所に止まった。待ちくたびれたように大勢の人がどやどや乗り込んでくる。そこで当方も座席を移動する為、一旦車外に出たが、待てよ、この町は5年前も素通りしていた。ここからツクツクタクシーに乗って「ゴールデン」まで行ったは良いが、帰りはそのままメーサイまで戻ってしまった。古い町だから見る所はいろいろあるだろう。運転手には急遽、ここで降りることを告げ、街中を歩くことにした。

近くにマーケットでもあるのだろう。この町の中心らしく、昼間からかなりの人出だ。何をするでもなく出歩いている。出歩いていれば、何か良いことにでも出会えるかと。そう、この町は昨日のチェンコン同様、メコン川に開けた降り町で、貿易、流通で栄えていたのだ。昨日、ラオスから渡って来た「เชียงโขง 」(チェンコン)、昨夜泊まった「เชียงราย 」(チェンラーイ)、そして今日ここの「เชียงแสน」(チェンセーン)。 全て頭に「เชียง」(チエン)の付く町の名前だ。そしてその代表がタイ2番目の大都市「เชียงใหม่」(チェンマイ)であるが、これ等は全て嘗てこの地を支配した「チアン族」が支配していた。だからこの地区の主要都市には全て「 เชียง」(チイエン)の頭文字が付けられている。嘗て読んだ案内書にそう書いてあったのを思い出した。

お昼にはまだ少し早いが、食べれる時に食べておこう。バスストップの周辺には幾つもの食堂があり、その内の手頃な一軒に入り、タイソバを食べることにした。タイのクイテアオかバーミーかカオソーイかは問わない。当方に取ってはどれも同じような味覚だから、注文付けても始まらない。奥の方でお客さんが食べている丼を指さし、同じものを一つ!とお願いする。
 
さて、この町には何があるのだろう。「เชียงแสน」(チェンセーン)とは「10万人のチイェン族」の意。当時は余程大きな町だったに違いない。この町には何があるのだろう。食堂のお上さんに聞くと、この先に古くて大きなお寺があり、その隣には博物館もあるとのこと。それでは早速行って見ようか。
 
 
 
街の中心地に近く、この辺は賑やかだ。
 
 
 
ああ、この奥にマーケットがあるようだ。場外売り場なども賑わっている。
 
 
 
マーケットは寄らずに食堂を探そう。
 
 
 
どこかでお昼を食べて、この町を散歩してみよう。
 
 
 
古い町だから、色々と珍しいものがあるかも知れない・・。
 
 
 
もやしの一杯入ったソバを食べ、1キロ程の先の古い寺と博物館を見に行くことにした。