ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(125)「ワット・プラケオ」(วัดพระแก้ว)の宝物館。

「ワット・プラケオ」にはバンコク羅漢寺(วัดระฆัง ・ワットラカン」にあるような鐘、「ラカン」(ระฆัง)があった。108鐘あるのだろう・・。
 
 
 
ああ、ミルク神、弥勒さんもある。中国仏教の影響か・・。
 
 
 
仏塔、チェデイ(เจดีย์ )の前で。
 
 
 
記念館というか、宝物館に入って見る。
 
 
 
 
 
 
 
観音様のような佛も置かれていた。
 
 
 
ああ、仏陀だろうか・・
 
 
 
 
 
5年と言う歳月が長いのか短いのか分からなくなる時がある。特に変化の乏しい日本では5年はあっという間に過ぎ去ったように思える。5年前の情景が目の前に現れると、何だ、5年前と同じじゃないか、もう5年も経ったのかと。が、日本の倍、三倍も変化の多く流動的なタイに於いては、5年前の情景はそこに無いことが多い。全く違う情景ではないにしても、5年の歳月の長さを感ずることがある。同じ5年でも日本の倍、三倍のスパンの長さに感じられることがある。

この「ワット・プラケオ」(วัดพระแก้ว)の境内もそうだった。確か5年前には、今日の様な多彩な草花は境内には無かったし、本堂に向かって右手の方にあったトイレ、トイレの言い方はタイ語ではいろいろあるが、ここでは「สุขา」(スカー)という案内板が出ていて、今まで覚えていた一般的な単語「ห้องน้ำ」(ホーンナム)とは違う言い方で、強く印象に残っていたが、今はその場所にはトイレは無く、代わって、左手には、何か宝物殿のような、展示場のような建物が出来ている。自分が気が付かなかっただけかも知れないが、少なくとも5年前にはこのような建物は、この場所には無かったと思う。

この建物を宝物館と言うかどうかは知らないが、建物前には珍しい感じの壺の置物などもあり、兎も角中に入って見ることにする。内部は由緒あるお寺だけあって、仏教関連の古物、仏像など所狭しと陳列されている。無造作に並べられてはいるが、王宮寺院ゆえ、貴重で価値ある一物なのだろう。中に、羅漢果と言ったか、釈迦頭と言ったか、どこかで見たような木の実が何個か展示されていたが、何かこの寺の僧侶にまつわる言い伝えでもあるのかも知れない。仏陀如来、漢音様等々を拝観し、この寺を後にした。
 
 
 
 
若い頃の仏陀かも知れない。
 
 
 
これは又妖艶な仏様だ。
 
 
 
あちこちに有難い仏像に囲まれている。
 
 
 
すごい数の貴重品だ。
 
 
 
これ等の沢山の仏はどこから集められたのだろう。
 
 
 
この壺の手前の黒いものは何だ??
 
 
 
ああ、木の実だ。釈迦頭とか羅漢果と言っているのではないか・・、いや単にクルミの実か・・。