ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(129)「暁の寺」。

ワットアルンの船着き場から対岸のバンコク市内を見る。高層ビルが林立している。
 
 
 
ああ、前方にワットアルンの仏塔が見える。
 
 
 
ワットアルンの仏塔が目の前にそびえる。
 
 
 
ワットアルン境内で記念撮影。
 
 
 
この建物はいつ出来たのだろう・・。以前来た時は気が付かなかったが・・
 
 
 
では中に何があるのか入ってみよう。
 
 
 
 
 
暁の寺」。良い響きの語感だ。この言葉を最初に使ったのは誰かは正確には知らないが、自分の知る限りでは、この「ワット・アルン」(วัดอรุณ)を「暁の寺」と命名したのは、多分、三島由紀夫ではないかと思う。彼の最後の小説、それは自衛隊市谷台での壮絶な自決により未完となったものだが、「豊穣の海」の中で使われ、それが最初の最後ではなかったかと思う。

彼はこの小説を執筆する以前にバンコクを訪れ、当然その頃はバンコク市内にはまだBTSも地下鉄も高速道も無い頃の、街全体が混沌とした状況下にあったが、彼もまた今日自分がフェリーでチャオプラヤー川を渡ったと同じようにこの川を渡り、そして、川面に映えるこの寺の異形に打たれたのではないかと思う。自分が新婚旅行でこの街に来たのは今から37年前のことであるが、三島がやって来たのは、それよりも更に20年近くの前のことであり、タイはまだ後進国の域を出ていなかった。

三島が小説の着想を得てこの街にやってきたのか、或は偶々この街を旅行し、南十字星を眺め、旭に映える川辺の寺を見、月とオリオン星座、即ちジャン姫。三島は豊穣の海で何を語ろうとしたのか、未完に終わった今では分からない。そして今自分はその45年後、この小説の題になっている「暁の寺」の前に立っている。

「วัดอรุณ」(ワット・アルン)の「อรุณ」(アルン)は実に「朝日」の意であり、この寺の日本語名は「朝日の寺」となる。「暁」も同じ意味であるが、「暁の寺」の方が小説の題名には相応しい。「暁」-「あかとき」、しかし三島の胸中には「暁部隊」がり、この寺の名前から取って、そうした着想を得たのかも知れない。

天に届くような急峻な階段を登り、直ぐ目の前を滔々と流れるチャオプラヤーの流れを眺め、その先のバンコク市内の高層ビルを眺め、この寺から連想する三島、豊穣の海、・・、その小説は実に混沌の海から始まるものであったが、そうした様々を夢想した。
 
 
 
 
おお、これは中国風だ!以前はこんな建物はなかた。金持ちの華僑が寄進でもしたのか・・。
 
 
 
これは全く中国風で、ワットアルンには似つかわしくないのだが・・。
 
 
 
こんな仏像は以前にもあったようだが・・。どこかから移したのか・・。
 
 
 
うーん、中国商人のすごい財力だ。
 
 
 
仏塔の急な石段を登る。
 
 
 
塔の上から目の前のチャオプラヤー川を眺める。