ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(135)カオサン(ข้าวสาร)にて。

カオサンの入り口にあるチットさんの理髪店でビールを一杯飲み、カオサンへ向かう。
 
 
 
店の前では三毛猫がのんびり昼寝をしている。
 
 
 
カオサンの一本裏の路地を歩いて行く。
 
 
 
その途中に日本人経営の旅行代理店「アンコールツアー」がある。店主のあきおさん、忙しそうにしていた。
 
 
 
如何にもカオサン中通りらしいが、時間が早いため、人はそれ程多くは出ていない。
 
 
 
カオサン通り(ถนนข้าวสาร)に出る。相変わらず外人だらけだ。
 
 
 
 
 
王宮前広場の東端にある「トッカタン」(อุทกทาน)の女神像に一礼し、その前にあるロイヤルホテルに立ち寄り、顔馴染みのドアマンに一言三言挨拶する。以前バンコクへ来だした最初の頃、何回か泊まったホテルで、フロントデスクやドアボーイの何人かに見知った顔がいるが、ホテルの入り口だけにし、中には入らなかった。客ではないので、フロントまで行って、何か話しても、冷たい態度を取られるに違いない。

このホテルの前の大通りはラチャダムヌン大通りと言って、チャオプラヤー川に架かるピンクラオ橋とを結ぶ交通の大動脈で、両側8車線の車道は引っ切り無しに車が通っている。当時、ここには信号機も横断歩道もなく、横断するのに決死の覚悟で、車が途切れるのを待って、あたふた駆け足横断していたが、いつの頃か、交差点の真ん中に交通警官が立つようになり、我々旅行者の姿を見かけると、車を止めてくれて便宜を図ってくれていたが、最近では、この交差点に横断用の信号機も設置され、まだまだ車優先の社会だから、信号の待ち時間は長いものの、じっと待っていればその内横断信号も青になるので、安心して渡れるようになった。この10年の間にも、タイのインフラ、人に優しい社会造りが急速に進んだものだ。どんどん先進国の仲間入りをしていく。

道路を渡った先が大きなロトくじ売り場(ロッタリー・ลอตเตอรี่ )になっていて、間口1間程の縁台の小売店が数百店と集まっていて、ここでは主に卸しをやっているようで、車で買い付けに来た人が、縁台の上に番号順に並んでいるくじ札をズラーっとまとめ買いし、台の上を半分以上空にしているのを良く見かけた。チット(จิต)さんの店は、この売り場広場の端の方にあり、カオサンの裏通りの入り口にも当たっていた。チットさんは愛想の良い理容師で、バンコクへ来ると時々はこの店で散髪をしてもらっていたが、今日はまだ髪も伸びてなく、併設の食堂でビールだけ飲んで、カオサンに向かった。いつもブラブラしている髪結いの亭主も今日は姿が見えず、話し相手もなく、早々と腰を上げたのだった。

カオサン裏通りを入った直ぐのところに日本人の経営する旅行代理店があり、彼、「アンコールツァー」のあきおさん、という名前だが、いつも日本人旅行者相手に忙しくしていて、繁盛している店だが、そうした切れ目を見計らって挨拶、ラオス北部、雲南省まで行ったと話したら、彼自身まだそこまでは行ってないので、目を丸くしていた。以前バンコクで修業している日本人僧侶のことを聞いたが、彼自身そうした情報は無く、結局今日は会えなかったが、当方から川向こうのワットパークナム寺で修業している平田師のことを話して、情報提供してやった。

あきお氏と一しきり話している間にも次から次と新規のお客がやってくるので、長居は出来ず、カオサン大通り(ถนนข้าวสาร)を歩くことにした。約半世紀前、自分がまだ二十歳の学生の頃、この町に来て、良くこの通りを歩いた。今ほどネオンも賑やかさもなかったが、コスモポリタンの雰囲気は今と変わらず、何か別の世界にやってきた感じで、何かしら、自分としては落ち着けた。バンコクの外人街。世界中の若者が集まってきている感じだった。

カオサン通りの中程に日本人経営の店が出来ていると、先刻あきお氏に聞いていたので、行って見る。成程、一番良い場所に「アラトン(ARATON)」という名前の飲食店があり、日本人の店長に聞くと、約半年前にここに店を出したとのこと。元々は福岡が本店だが、東京にも出店があるとのこと。まだ夕方には時間も早く、通りも夜の賑やかさには欠けていたが、店の前の椅子から通りを歩くコスモポリタンを眺めながらビール1本を開け、雰囲気を味わった。良い町だ。
 
 
 
 
路上の土産物屋も大繁盛だ。
 
 
 
ああ、全く芸術的な髪の毛だ。
 
 
 
カレン族の行商人も集団で来ている。
 
 
 
ARATON、日本人経営の店だ。通りの真ん中辺にある。
 
 
 
タイ人のお客さん、何かお手伝いしましょうか?
 
 
 
食事にはまだ早くビールを1本頼み、通りを歩く人を見ながら、雰囲気を楽しむ。