ちゃおチャオブログ

日々の連続

9.13.(土・晴れ)盛田正明さん。文芸春秋、天皇実録。

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今日、錦織選手、NYより凱旋。成田空港では大勢の人に迎えられ、早速の記者会見。24歳とは思えない立派な青年だ。今回は残念ながら優勝を逃したが、次のグランドスラムには間違いなく、NO.1 Playerになるだろう。
 
その陰に盛田正明さんがいたとは、つい最近知った。ソニー盛田昭夫氏の実弟で、現在87歳。ソニー副社長まで務め、退職後は私財1億円を投じ、テニスファンドを作り、小学生の錦織選手を発掘し、渡航費その他の金銭的な援助をしてきた人。
日本テニス協会会長まで務めた人だが、お金の使い道を知っている。世の資産家は、この様な形で、持っている資産を世の為に還元して行けば、よりよい社会、日本になるに違いない。
錦織選手と盛田さんにバンザイ!
 
 
文芸春秋10月号、最近公表された「天皇実録」の特集。タイトルが「衝撃」となっているが、関係者、国民にとっては実際衝撃的なことだったかも知れない。評者は半藤一利、保坂正康、磯田道夫氏の3名。現在日本を代表する歴史家の面々だ。
中で面白い記事が幾つかあった。
・松岡外相の祭し料に関し、現在極東裁判中で有罪に確定していないので、祭し料の下賜を認可したが、それ以降の戦犯については「一切の恩遇は不詮議」としたことで、国の方向を誤ったA級戦犯に関し、強い嫌悪感を持っていたことが窺える。
張作霖事件に関しては、時の総理、田中義一を呼び、「齟齬がある、として辞任を迫った」下り、
満洲国成立後の熱河作戦に際しては、再三にわたり中止を指示したが、陸軍侍従より無視され続け、結果、2週間後の国際連盟脱退に結び付いていった。
天皇としては、痛恨の極みだったに違いない。
・2.26事件後、山下奉文が皇居に来て、自決する氾濫将兵に対し「勅使」を奏上したが、天皇は、「自殺するなら勝手に成すべし」と、突っぱね、爾来、この山下を天皇は嫌っていた、とのこと。
山下に関しては、シンガポール、パーシバルとの会見が持て囃されているが、当方、今年の連休にフィリピンの山奥を訪ね、逃亡先を見てきたが、あの状況は、武将とは言えなかった。平家の落人部落をフィリピンの山中に作ったようなものだった。
・戦争開始直前の御前会議前日の杉山総長、長野部長との面談録も面白い。陸海軍がいい加減な虚報を天皇に伝えているということは、天皇はとうから承知していたようだ。
天皇はこうした平和主義者だったことを多くの国民が知っていたから、戦後すぐにも、各地で歓迎されたのだと思う。
 
他に朝日問題も紙面を飾っていたが、明日、触れてみたい。
 
 
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