ちゃおチャオブログ

日々の連続

掛川城と事任八幡宮(3)掛川城にて。

逆川を利用したお堀の先に掛川城天守閣が見えた。
 
 
 
川が天然のお堀となっている。ここは別名「懸河城」とも呼ばれていた。
 
 
 
物見櫓と天守閣。良い眺めだ。
 
 
 
天守閣の雄姿が見える。
 
 
 
大手門に向かう登城路も全体に狭い。ここは三日月の池。
 
 
 
二の丸跡。今は花壇になっているが、築城当時には、妻のヘソクリ10両で買った馬を走らせていたのか・・
 
 
 
ああ、左手に小さな大手門が見える。
 
 
 
ああ、こんな小さな大手門だ。大手門とも言えぬ門構だ。
 
 
 
下から見上げる天守閣。築20年程か・・。
 
 
 
 
 
昼過ぎ、短い距離だったが駅前から乗ったタクシー運転手に掛川城のことを聞いたら、余り知らなかった。城主についても山内一豊の名前は挙げたが、それ以上の城の歴史とか、歴代城主に関しては、皆目と言って良い程、知識がなかった。観光タクシーではなく、普通の町の人を運んでいる運転手だから、城のことを知らなくても、運転には差し支えない。そもそもこの町にはお城以外の観光目玉は無く、観光タクシーなど存在していないに違いない。掛川城については山内一豊一人を知っていれば十分なのだ。

事任八幡宮からはバスで一旦掛川城まで戻り、歩いてお城へ向かう。もう既に4時半を回っているので、お城の中まで入れないかも知れない。逆川という自然の川を利用したお堀を渡るとお城に入る。下から見上げても中々優美な城だ。確かこの城も日本百名城に選ばれているが、成程、ここから眺めれば納得できる。

城門を入った直ぐの場所に受付があるが、既に係の人は帰る仕度。もうこれからの入城は出来ないとのことだが、天守閣の下までは散歩できるとのこと。お城に関しては先日小田原城天守閣に登ったばかりだから、今日はここえ敢えて天守閣に登ることも無い。城郭の高台から城下が眺められれば十分だ。

成程、全体がこじんまりとしている。以前聞いていた通りの造りだ。再築されて凡そ20年は経つか・・。一豊がこの地に入府し、この場所に築城したその当時の状態を忠実に復元してるようだ。以前NHKの大河ドラマで放映されていた「一豊の妻」を思い出す。何事も質実剛健で華美に走らない。城にしても城門にしても、城の備えが出来れば、それで充分。だから人が通れる程度の出入口であれば十分だと。

天守閣の下の高台から街を眺める。意外だったのは、この町が盆地状の中にあることで、周囲を小高い山に囲まれている。遠州灘に続く平地の中にあるかと思っていたが、そうではなかった。一豊はこの天守閣から領内を眺め、手腕を発揮し、長曾我部亡き後の土佐高知に移封となった。僅か5万石の中大名からその5倍の25万石の大大名に栄転し、その子孫は明治まで命脈を保った。一豊の妻、千代女が偉かったのか、本人が有能だったのか、400年前一豊が眺めた山河を、今、同じように眺めている。

静岡も高知も気候温暖で、風光明媚だ。違いがあるとすれば、高知城のお城のすぐ下は賑やかな高知の繁華街で、その先に土佐湾、太平洋が眺められたが、今、ここに見えるのは、静かな掛川の街並みと、周囲の山並みだけだ。一豊千代も土佐に移ってからも、この眺めを思い出していたに違いない。
 
 
 
 
三の丸に抜ける木戸も小さい。人一人やっと通れる位の幅だ。
 
 
 
天守閣の下より、掛川の街を眺める。
 
 
 
周囲は小高い山に囲まれた盆地状の街だ。
 
 
 
この地は戦国時代より戦略上の要衝の地で、一豊が漸く安定させた。
 
 
 
天守閣の下に居宅が見える。一豊の後を継いだのは、太田道灌の一族だった。
 
 
 
復元された登城路。
 
 
 
二の丸跡は現在綺麗な花壇になっている。
 
 
 
 
 
 
下からもう一度天守閣を眺め、この城を後にする。