ちゃおチャオブログ

日々の連続

インド世界遺産の旅(25)アクバル帝の居城「ファテイープル・シークリー城」観光。

この王宮は昨日デリーで見た「レッド・フォート」と感じが似ている。
 
 
 
えんじ色の砂岩で造られた所などそっくりだ。
 
 
 
この色はムガール人が好きな色だったのか・・。ブドウでも連想したのか・・
 
 
 
しかしすべてが石造りで、やや無味乾燥である。
 
 
 
インドと中東をミックスしたようなムガール文化。
 
 
 
ヒンドウは多神教、モスレムは一神教。これは一体どっちなんだ!
 
 
 
王宮を取り巻く街並み。
 
 
 
王宮は放棄されても、猶ここに住み続ける周辺の住民。
 
 
 
王宮内には後宮の美女と遊んだプールもある。
 
 
 
毎晩楽しい宴が繰り広げられただろう・・。
 
 
 
 
 
インド旅行7か所目の世界遺産「ファテイープル・シークリー城」。ここはかの有名なムガール帝国の実質的創始者「アクバル帝」により今から450年程前に建設された王城だ。アグラから30数キロ、平原の中にある。「アクバル帝」は、日本で言えば信長の時代の皇帝。アフガニスタンで生まれ、インドに攻め込み、インド北部を支配下に置いたが、晩年は又アフガニスタンに戻り、そこで亡くなり埋葬されている。ムガール帝国の版図を最大に広げた偉大な皇帝だ。同世代人の信長と似た処があるかも知れない。

休憩を入れて約4時間、平原の中を突っ走って来たツァーバスは、草原の中に少し盛り上がって赤茶けた城塞を遠方から認めると、どんどん近づき、この城塞を取り囲むようにして残っているちょっとした集落に入り、その行き止まりの広い駐車場に駐車した。ここから歩いてほんの少しの坂を登り、元アクバルの古城「ファテイープル・シークリー城」に入城する。ここにも又小うるさい土産売りがいるが、朝のアンペール城程はしつこくない。

インドに来て最初に訪問した世界遺産「レッド・フォート」、ヒンドウ名「ラール・キラー」は、アクバル帝の息子「シャージャハーン皇帝」が都をアグラからデリーに移した際に建設された王城で、名前の通り、赤い色(臙脂)の石、赤砂岩で造られている。今いるこの「ファテイープル・シークリー城」も同じ砂岩石で建設されていて、城内の雰囲気はどことなく似ている。大体にムガール人はこの赤茶けた臙脂色が好きなのか・・。

砂漠の中にある王城のように、城内は殆ど全てが石造りで、日本人から見たら潤いがない。砂漠の民はこうした硬い石の建物に愛着を感じていたのだろう。アクバルは何か占い師の予言によって、王城をこの場所に定めたが、如何にしても水利が悪い。僅か10数年でこの王宮を放棄し、元いたアグラの「アグラ城」に戻って行った。しかし皇帝は去って行ったが、ここに移り住んだヒンドウの民は、450年経った今も同じように、王城を囲むようにして生活し続けている。そうした人の何人が、観光で生計を立てているのだろうか・・。それは兎も角、さて、城内の個々を観察してみよう。
 
 
 
 
流石、アクバルが住んだ王宮、大きな構造だ。
 
 
 
中庭で1枚。
 
 
 
これは一体、何の建物なのだろう。。
 
 
 
 
広々した宮殿で、ガイドがいないと迷子になりそうだ。
 
 
 
インド人ガイドの説明を聞くツアー客。
 
 
 
ああ、珍しい。ほんの少しの緑もある。
 
 
 
さて、そろそろ出口に向かう。
 
 
 
ああ、ギリシャ風のエンタシスだ。
 
 
 
ーん、昔のトイレがこんな所にあった。
 
 
 
中々見応えのある王宮だった。