ちゃおチャオブログ

日々の連続

トルコ史跡巡りの旅(15)エフェス・屋外大劇場「オデオン」。

ケルルス図書館の直ぐ右手は公設市場、アゴラになっている。
イメージ 1
 
 
 
図書館の後ろには「聖母マリア教会」が立っていた。
イメージ 2
 
 
 
さっきもトイレの所にいたが、こんな所にも猫がいる。・・トルコ猫か・・
イメージ 3
 
 
 
さて、アゴラ通りを歩き出口の駐車場に向かう。
イメージ 4
 
 
 
広大な遺跡だ・・。
イメージ 5
 
 
 
素晴らしい石組だ。この技術はタクラマカン、中国、半島を経て、熊本菊池五橋へ伝えられている。
イメージ 6
 
 
 
ああ、大理石の上に方向を示すマークが彫られている。
イメージ 7
 
 
 
ああ、これがその「娼婦の館」を示す案内だ。最古の職業、何千年経っても人の行いは変わらない。
イメージ 8
 
 
 
「館」は長旅に疲れた巡礼者を癒してくれたのか・・
イメージ 9
 
 
 
 
ローマ帝政当時ここエフェスは帝国の直轄地であり、皇帝ハドリアヌストラヤヌスなどがこの地を訪れ、そして何よりもシーザー(カエサル)から鞍替えしたクレオパトラアントニウス(アントニオ、アントニー)と手を繫いで、先刻のアルカデア大通り、マーブル通りを歩いたと言う逸話も残っており、ここはローマ古代史の歴史の郷ともなっている。

奴隷の身分だったケルルスは、後日ローマ市民権を得て自由人となり、後年立身出世してこのアジア地区、アナトリアの太守にまで上り詰め、それを記念してかくも大きな図書館を建設したのだが、今残るのは、その外側の外壁だけである。キリスト教は早い頃からこの地方に伝播し、ローマ帝国により公に認められるようになってから、この植民都市にもキリスト教の教会が建てられ、今あるケルルスの外壁の直ぐ後ろの付近には聖母マリア教会なども建設されていた。そこも又イスラムに破壊され尽くされ、今は外壁しかのこされていないのだが・・。

このケルルス図書館からの直ぐ横にアゴラ(公設市場)があり、集合場所の駐車場へはこのアゴラの間の列柱の通りを歩いて向かう。いつの時代のどこの街でも同様だが、市場には人が集まる。旧約聖書ではないが、人の集るところ、人間の最初の職業は税金取立屋と娼婦とのこと。この古代都市にも娼婦の館があって、市場に集まる人とか、神殿、教会にやってきた巡礼者を相手に、商売していたとのこと。人類は洋の東西を問わず、又何千年経っても変わらない。この二つの職業は人類発祥の時から始まって、人類滅亡の時まで無くならないだろう。

花崗岩の上に刻まれた「娼婦の館」を指し示すマークを見、そんなことを考えながら出口付近まで歩いて行き、今まで歩いてきたエフェスの遺跡を振り返り見返すと、先刻の大劇場「オデオン」が真正面に見える。「ピオンの丘」という斜面を利用しての階段状の野外劇場、とてつもなく大きく、圧倒的だ。収容人員15,000人と言う。立見席まであったら、その倍にも膨らんだかも知れない。
 
平和な時代だった。いや、戦乱に明け暮れていたから、人々は、ほんの束の間の息抜きに、こうした演劇を楽しんでいたのか・・。アイスキュロスの悲劇は現在にも通じている。人々の熱狂の歓声がここまで聞こえてきそうだった。
 
 
 
 
右手が先刻の「オデオン」(大劇場)だ。
イメージ 10
 
 
 
岩の向こう側にオデオンが少しばかり見える。もう一度行って、見てみよう。もう二度と見ることもないだろうから・・。
イメージ 11
 
 
 
ああ、これはこんなに巨大な劇場だ。
イメージ 12
 
 
 
収容人員2万5千人! とてつもなく大きい!
イメージ 13
 
 
 
客席の人があんな小さく見える。
イメージ 14
 
 
 
一番最上階まで登りたいが、もう既に足が痛む。
イメージ 15
 
 
 
已む無く駐車場に向かう。
イメージ 16
 
 
 
出口手前からもう一度振り返り、大劇場を眺める。
イメージ 17
 
 
 
素晴らしい遺跡だった。
イメージ 18
 
 
 
ギリシャ人もローマ人もクレオパトラも同じように見た正面の山。・・あの山の名前は何というのだろう・・
イメージ 19