ちゃおチャオブログ

日々の連続

トルコ史跡巡りの旅(39)イスタンブール、「地下宮殿」~「グランバザール」へ。

偶々最近の新聞にこの「アヤ・ソフィア」の写真と記事がでていた。
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新聞記事によれば、イスタンブール世界遺産「歴史地区」、コンヤの神秘教団、それにトルコ料理は、中華、フランスと並ぶ世界三大料理の一つと紹介されている。あれれ、とすると日本料理は??
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アヤソフィアの外では警察官が集まって、何か事件捜査をしている。
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トルコ警察のパトカー。ドイツ製か日本製か?
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さて、地下宮殿に入る。
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真っ暗な中、目が慣れてくると静寂な中にシンメトリックな整然とした美が見えて来た。
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「海峡に 沈む夕日や 霧の中」
 
先刻、「アヤソフィア」に入る前に見た、ボスポラス海峡に沈んでいく夕日。恰も夕方のごとく赤く日輪が霞んで見えたが、それは海峡にかかる霧のせいだった。現に今、「アヤソフィア聖堂」を出た広場では、まだ日没には早い時間だった。近くで警察官が何か取り締まりか、犯罪捜査をしていた。中々スマートな制服だ。

戦前この町を訪れたアイルランドの詩人イエツがこの町の美しさを褒め称えているが、それは海峡に面した起伏の多い土地と、歴史的建造物の多さによるもので、今見て来た「アヤ・ソフィア大聖堂」、それはバチカンのサンピエトロが建設された以前の世界最大のカテドラルであったのだが、更に又明日行く予定の「トプカピ宮殿」などその最たるもので、これから訪問する「地下宮殿」や「グランドバザール」なども旧市街の「歴史地区」に存在し、皆世界遺産に登録されている。

「地下宮殿」と言うからには、北京にある明の十三陵や西安始皇帝陵を想像していたのだが、そうした王宮や陵墓ではなく、そこは地下の巨大な水槽だった。先刻、ここへ来る前の市内バス観光で「水道橋」を見たが、起伏の多い町で、高台の丘と丘を水路で結び、ローマ時代からあるものだった。

ローマの水道橋は随分古いものだが、熊本菊池にも同じような石組の水道橋があり、時々栓を開けての放水は見事なものだ。橋桁の高さが、イスタンブールは精々10mにも満たないが、菊池のそれは30mを越えるような高さで、石組の技法が北京・朝鮮半島を経て日本に持ち込まれたものであるが、1400年後の日本に於いてその技術は最高潮に達したのだろう。バスの車内からその水道橋を見て、感慨一入だった。

菊池の五橋はさておいて、この町は古くローマ時代から水の尊さ、生活に不可欠なことを理解していて、市内を巡る水道橋や、今見ている地下水槽などが完備されていた。実際、こうした巨大な地下の水瓶を見ていると、この町が古来から文化的な都市、高度な文明社会であったことが窺えた。

乏しい光の中で、中の構造は良くは見えないが、天井を支える柱は大理石であり、その柱には彫刻が施され、装飾も取り付けられている。殆ど真っ暗で、当時は蝋燭の灯りで見たであろう、この地下空間、誰の命令でこんな場所にこんな贅沢な芸術を求めたのか。又、誰がこの芸術的な地下空間を鑑賞したのか・・。

いやいや、ここは人々が芸術を鑑賞する場所では無い。貴重な水の神様、水の精に捧げる地下の殿堂だったのだ。縦横の長さ100m以上に亘って真っ直ぐに定位置に並んで伸びる何列もの支柱。さざ波とも言えぬ、小さな水の滴りがそれ等の支柱を濡らし、黒光りさせている。シンメトリックな美がそこにあった。ああ、ここはそうだ、正しく水の神様の住まうところ、水の宮殿だったのだ!

地下から再び地上の明るみに出たが、陽は既に西に傾き、夕方が迫ってきていた。今日はこれから最後の観光「グランド・バザール」へ行くのだ。さて、トルコのノミの市。さてはてどんな掘り出し物が出て来るか・・。
 
 
 
 
当時のイスタンブールの給水設備のジオラマ
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イスラムの蝋人形も展示されていた。一人はメフメット、もう一人はカリフか・・
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この人は? 地下宮殿の設計者に違いない・・
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さて、これから夕方の「グランド・バザール」へ向かう。
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ああ、市電が走っている。モダンなトリムだ。
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ISTANBUL,イスタンブル、日本語のイスタンブールではないんだ。これからは当方も「イスタンブル」と呼ぶことにしよう。
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