今日は神代植物園を通り抜け、深大寺に行く。
バラの季節は既に終わり、まばらに咲いていた。
いつか、このバラ園で買った「Rose Tea」は香り豊かだった。
Princes Michikoは、今はもうない。
ああ、木々も紅葉を通り過ぎて、落葉間近だ。
林の中ではまだ色づいている紅葉もある。
師走の深大寺、参詣客も少ないようだ。
葉っぱを丸め、カール状になって、散り残っている。
「むくろじ」の小梢も高い。
この黒い実は、羽根つきの玉に使われた。
元三大師を祀る祖師堂も参詣客はまばらだ。
ああ、境内の裏手の墓地の手前には、まだ紅葉が残っていた。
もう12月に入っているので、暦の上では晩秋ではなく師走になっている。しかし、紅葉狩りに深大寺を訪ねた自分に取っては、季節は尚まだ晩秋だ。経済的にも時間的にも京都や各地の紅葉の名所に行くことも出来ず、その代わりでもないが、自転車でも行ける至近の距離の「深大寺」には、折をみて行くことにしている。「近短小」の典型だ。
12月も第2週、紅葉の季節はもうとっくに過ぎていると思って、出かける。今までの土日、何やかやの別用があり、行きそびれてしまった。例のごとく、「神代植物園」を横切って行くことにした。植物園内の紅葉はまだ葉を残している。深大寺も期待が持てるかも知れない。
師走の深大寺。皆他用に忙しいのか、参詣客はそれ程多くない。門前町のソバ屋や土産店もそれ程混んではいない。紅葉の季節は既に終り、来るべき人は皆見終わっているのだろう。年末年始の賑わいと比べたら、閑古鳥が鳴いていると言っても良い程だ。
本殿にお参りし、元三大師の祖師堂に向かう。大半の紅葉は散ってしまっているが、猶幾つかの枝先には、葉を丸めて、カールのようになった紅葉が散り残っていた。
「丸き紅葉 散り残してや 深大寺」
「イタヤ楓 朴念仁の ごとくあり」
「神代植物園」は現在温室が工事中で中には入れない。梅園まで歩き、春を訪ねる。梅園の梅はまだしも、その周辺に咲く山茶花は今が盛り。真っ赤な花びらを枝一杯に付けている。
「春の香や 植物園の 白難波」
「山茶花の 宿いずこなり シギや立つ」
帰り道、落ち葉に敷き詰められた小径を歩き、出口に向かう。サクサクと気持ちよく足音から響いてくる。深山の趣、奥山の風情。最後に展示場で杭州蘭の品評会を見て、そのすっきりとした品の良さに心打たれ、植物園を後にした。
「落ち葉踏む 小径や深山 ごときなり」
「杭州蘭 せわしき暮れに すっきりと」
12月も第2週、紅葉の季節はもうとっくに過ぎていると思って、出かける。今までの土日、何やかやの別用があり、行きそびれてしまった。例のごとく、「神代植物園」を横切って行くことにした。植物園内の紅葉はまだ葉を残している。深大寺も期待が持てるかも知れない。
師走の深大寺。皆他用に忙しいのか、参詣客はそれ程多くない。門前町のソバ屋や土産店もそれ程混んではいない。紅葉の季節は既に終り、来るべき人は皆見終わっているのだろう。年末年始の賑わいと比べたら、閑古鳥が鳴いていると言っても良い程だ。
本殿にお参りし、元三大師の祖師堂に向かう。大半の紅葉は散ってしまっているが、猶幾つかの枝先には、葉を丸めて、カールのようになった紅葉が散り残っていた。
「丸き紅葉 散り残してや 深大寺」
「イタヤ楓 朴念仁の ごとくあり」
「神代植物園」は現在温室が工事中で中には入れない。梅園まで歩き、春を訪ねる。梅園の梅はまだしも、その周辺に咲く山茶花は今が盛り。真っ赤な花びらを枝一杯に付けている。
「春の香や 植物園の 白難波」
「山茶花の 宿いずこなり シギや立つ」
帰り道、落ち葉に敷き詰められた小径を歩き、出口に向かう。サクサクと気持ちよく足音から響いてくる。深山の趣、奥山の風情。最後に展示場で杭州蘭の品評会を見て、そのすっきりとした品の良さに心打たれ、植物園を後にした。
「落ち葉踏む 小径や深山 ごときなり」
「杭州蘭 せわしき暮れに すっきりと」
少し遅くなったが、今年も又深大寺の紅葉を見ることができた。
少し鮮やかさは落ちるが、やむを得ない。
林の中の紅葉も悪くはない。
植物園の中にもあった!
ああ、ここはまだ紅葉のトンネルだ。
梅園の早咲きの梅、早くも蕾を持っている。
ああ、早咲きの白難波だ。
その隣りでは山茶花が沢山の花を付けていた。
山茶花の宿、いずこなり・・・
ふかふかとした落ち葉の小道を歩いて帰る。
丸坊主になったイタヤ楓とその先のイロハモミジ。
ああ、杭州蘭の品評会をやっている。
すっきりとした清楚な蘭だ。