ちゃおチャオブログ

日々の連続

ボロブドールへの3日間(38)ジャカルタ漁港。

漁労の民の集落を通り抜けた先に海があった。
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ああ、ジャカルタの漁港だ。
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これがインドネシアの漁船か・・
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インドネシア港と漁港。遠い日本と海で結ばれている・・
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港を見終え、再び集落の迷路を通り抜ける。
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全く密集した住宅の連なりだ。
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日本は昔から海洋国家だ。それは今でも変わらない。昭和20年代、自分達が幼少の頃の夢は、外国航路の船乗りになるとか、南氷洋捕鯨船。目の前の大海原を縦横に駆け巡り、世界の海を制覇する。社会が貧しく、夢に生きるしかない少年にとっては、海は無限の広がりを持っていて、胸膨らむものであった。物が豊富で何不自由ない現代の少年にとっての夢は何だろうか・・。地球の海から宇宙の海、アストロノートになることかも知れない。

昭和35年、最早戦後は終り、高度経済成長の軌道に乗って、瞬く間に日本はGNP世界第2位、米国に次ぐ大国にのし上がったが、それと反比例して船乗りの数は減少し、別けても漁船員の減少は目を覆うばかりで、将に3Kの職場として敬遠されてきた。そうした日本人漁船員の穴を埋める形で、インドネシア人、フィリピン人、ベトナム人が研修生として漁船に乗り込むようになり、今我々日本人が口にする魚類の大半は彼等外国研修生の裏方の努力によるものでる。

海の民の迷路のような路地を通り抜けると、突然に海に出た。ジャカルタ港だ。というか、ジャカルタ漁港だ。係留されているのは貿易港の港湾で見るような貨物船ではなく、近海の漁船だ。舳先の尖った、ジャンクの流れを汲むような漁船の数々。夕方になると毎日この漁船に乗って沖合に出、月明かりの下で魚を捕って、明け方に帰港する。船員は今頃の時間昼寝してるのだろう、無人の船が小さな波に上下している。

再び迷路のような集落を通り抜け、先刻の大通りに出る。この僅か数百平米の路地の中に、一体何百世帯の漁労の民が重なりあって生活しているのだろう。この中から何人の漁師が日本の漁船にリクルートされているのか・・。見た所、生活に貧しさはない。漁業収入だけでこれだけの生活が維持できるとは思えない。日本や韓国、或は遠く宗主国オランダの北海の海まで出稼ぎに行っているのだろう。その留守を守る家族。この集落の路地を通り抜けていて、急に日本を身近に感じた。目に見えない所で結ばれている、と。




こんな場所にも商店があって、人々の日々の生活が営まれてる。
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車は入れないが、バイクは通れる。この集落が一つの町になっている。
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ああ、漸く表通り、車通りに出た。正面の奥が、今まで歩いてきた路地。
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ブサール運河の分流点まで出て来た。
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ああ、運河の反対側に「監視塔」が見える。
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この大きな敷地は何だろう・・。昔の海運会社の荷揚げ場だったのか・・小学校の校庭位大きい。
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