ちゃおチャオブログ

日々の連続

ルソン山紀行(9)コレギドール遠望。

ミニタクシー(ツクツク)で、海岸線までやってきた。ここは南シナ海だ。
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ああ、あの奥の島がコレギドールか。ああ、泳いでいる人もいる。
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扁平な島のように見えるが・・
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ああ、こちらがメインの島だ。以前写真などで見た記憶がある。
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この先の左側がマニラ湾だ。
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半島側には集落、人家などはないが、1か所、船着き場のような所が見える。
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バターン半島をバスに揺られやってきた、と言ったら恰好良すぎる表現で、実際の処は綺麗に舗装されたアスファルト道路で、むしろ日本の田舎の道路よりも良く整備されていて、道路沿いの家並みも貧しさは感じられない。数キロ置きに建っているカソリック教会の真っ白な十字架屋根は目を引くし、コレギドール(これからはコレヒドールではなくフィリピン流にコレギドールと呼ぶことにする。)に近づいてくると、道路脇の1m程の高さのコンクリートの道標が、バターン死の行進を思わせる鎖に繋がれた米兵のモチーフに代わり、それがマイルストーン宜しく1キロポストごとに立っている。間も無くコレギドールだろうと思っていると、突然車掌より「ここだよ!」と指示されて、バスを降りた。

タイでは「ツクツク」と呼んでいるが、ここフィリピンでは何と呼んでいるか知らないが、取り敢えずオートタクシーとしておくが、バイクを改造し、後ろに2-3人乗りの座席を作ったミニタクシーがやってきて、コレギドール島の見える海岸まで案内してくれた。岸辺から5-6キロ先に写真で見た記憶のあるコレギドール島が横たわっている。多分スペイン時代からあるのであろう、首都マニラを守る要塞の島だ。

ここへやってくるまで、島の対岸はちょっとした集落になっていて、島との間に渡し船が頻繁に往復しているかと想像していたが、それは全く当てが外れた。島自体が人の住まない無人島で、こちらの半島側には人家らしいものは全く見えない。人々が生活の為に島と半島を往来しているとの想像は全く当たっていなかった。唯一ここまで車でやって来る観光客の為に島までのチャーターボートを出してくれる業者がいるとのことで、後で寄ってみることにした。

島は平板な感じで、深い緑に覆われていた。遠くから見れば緑の島だが、上陸すればジャングルのような密林になっているかも知れない。歴史を知らない人にとっては、この島は恰も沖縄本島の周辺に浮かぶ小さな無人島の一つのように思えるかも知れない。太平洋戦争時、この島の攻略、争奪の為、日米両軍が壮絶な戦いを行ったことなど、今の島影を見る限りでは想像も出来ない。連合国総司令官マッカーサー元帥が、一時はこの島の要塞から戦線を指揮していたことなど遠い昔の話になっている。今我々の記憶にあるのは、7万人を越える米比両軍の捕虜を炎天下の中収容所まで歩かせ、多くの将兵を死亡させたということである。その責任を取り、フィリピン派遣軍総司令官、クリスチャンの本間雅晴中将はマニラ軍事裁判に於いて処刑されたのだ。

島との中間、岸辺に近い浅瀬で何人かが泳いでいる。大人のようだ。単に水浴びをしているとは思えない。何かのすなどり、漁労をしているに違いない。アワビかサザエか・・。再び島を一望し帰ることにする。浅瀬から石を一つ拾い、持ち帰ることにした。何かの、誰かの御霊がこの石に閉じ込められているかも知れない。帰り、渡船業者の事務所に寄って見る。殆ど客などいないのか、退屈そうに渡船料金の看板を取り出し、一人の場合は2000ペソ、5人以上だと一人当たり800ペソ、を示す。後でオートタクシーのドライバーに聞くと、客の殆どは、マニラからフェリーでやってくるそうだ。ここまでくるよりは、ボートの方が時間も早い、とのことである。



何の木か、林が海岸線まで迫って来ている。ゴムの木に似ているが・・・
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ああ、林の中に何か動物がいる。
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ああ何だ、放し飼いのヤギだったのか・・。南国だ。沖縄と似ている。
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コレギドールをバックに記念写真を撮る。
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海の石を記念に1個貰って行く。何かの御霊が籠められているだろう・・。
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もう一度コレギドールを眺め、海岸を後にする。
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