ちゃおチャオブログ

日々の連続

ルソン山紀行(21)棚田を下る。

棚田をバックに1枚写真を撮り、町に戻る。
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棚田はずっと先の方まで続いている。
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高度差1000mの棚田、というのもあながち大袈裟ではない。
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人間の営みは、原野を切り開き、芸術品にまで高めた。
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谷の下の方のは人家も見える。
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バナウエイ(Banaue)の棚田が世界遺産に登録されているのは、この崖上からの光景を見れば誰しも納得することだろう。棚田を一番最初に見たのはもう20数年も昔のジャワ島だったが、斜面を段状に区切って水田とし、青々と波打つ早苗を見て感動したが、その後、バリ島のあちこちで同じような光景を見て、ああ、これ等の国は、アジアモンスーン地帯、稲作民族なんだななあ、と実感した。

今日再びここバナウェイで規模の大きな棚田を見ることになったが、先刻、祭りに出かける若奥さん、今また祭り衣装に着飾ったおばあさん達を見、話していると、遠い日本の先祖は、こうした島々からやって来た、との感を再び強くした。柳田国男海上の道にあるように、少なくとも稲作文化は海の架け橋を渡って日本に齎されてきたに違いない。2000年前の江南地方はどんなだったかは知らないが、今見る江南地方にはこのイフガオやバリで見るような高度な稲作文化は見ることは出来ない。稲作は、アジアの島々に棲む民族により齎されたと信じたい。現にそれは出雲や九州などではなく、静岡の登呂遺跡に見られる大々的な稲作耕作地の遺構からもして裏付けられるのではなかろうか。

顔かたちもも仕草も日本人とそっくりな、少なくとも現代中国人とはかけ離れた感じのイフガオ人と話す機会を得、日本人は大陸の民族ではなく、海洋の種族との思いを新たにし、この棚田から戻ることにした。いつまでもバイクタクシードライバーを拘束しておくのは申し訳ない。下る途中からも違った光景が眺められ、時々はタクシーを止め、眼下を眺めたり写真を撮ったりし、元の観光案内所の前まで戻った。これから下の広場では祭りが始まるようだ。これは是非見ておかなければならない。



今、これから稲作が始まる処か・・
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黄金色に輝いたら、それはそれでまた、どんなにか素晴らしい事だろう。
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見晴らし台には土産店もあり、イフガオの土人の木工製品をお土産に買う。
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見飽きぬ景色だ。
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見晴らし台を後にした。
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