ちゃおチャオブログ

日々の連続

ルソン山紀行(44)ビガン河口湊跡。

ホテルでの朝食後、ホテル周辺を散歩する。
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南国的な樹木が鬱蒼と生い茂る。
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ああ、竹も生えている。竹はアジアの文化だ。
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民家の庭では、先刻食べたようなソーセージを干している。案外こんなのがホテルに納入されているのかも知れない。
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これは又小カニの選別をしている。出汁にでもするのだろうか・・
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今回のフィリピン旅行でかなり辺鄙なビガンまで足を延ばしたのは訳があった。元々ここにこんな町があるとは全く知らず、頭の片隅にもなかったのだが、以前友人の稲さんから、フィリピンへ行ったらビガンまで行って見たらどうか、と提案されたのだが、その時彼から聞いた話では、戦時中日本軍がフィリピンを占領したが、その際、この町に軍政を敷いた陸軍大尉の責任者が、軍本部の命令、この町を焼き払って、全軍退却せよ、との司令部からの命令に抗する形で、この町の破壊工作を一切行わず、部下数百人を引き連れて撤退し、従って、今でもこの町は17世紀、18世紀のスペイン時代の面影を残す街並みが保存されていて、近年、世界遺産にも登録された、との話だった。

戦前戦中に色々と立派な軍人がいたのは知っていたが、フィリピンのそんな僻地の町にも尊敬すべき軍人がいて、軍命に反すれば、重大な軍律違反として厳罰を受けるのを承知の上でこの町と住民を助けた。その日本人の誇りとすべきような軍人が助けた町とは一体どんなものか、遥かサガダからバスを乗り継ぎ、1日かけてこの町へやってきたのだ。昨夜は中央広場でマイクロバスを降り、直ぐにホテル探しとなったが、その広場や通りがライトアップされていて、水銀電灯に浮かぶ古風な建物群は、成程、その陸軍大尉が一命を賭してまでも救うに価値ある風情だった。

昨夜はホテルにチェックイン後、早速夜の街を歩いたが、その時の写真は無くなってしまった。さて、一夜明けた今朝、プールの横で貧相な朝食を食べ、ひと泳ぎしてから、ホテル周辺を歩いてみた。このホテルは中心部の通りから歩いて4,5分の近い場所にあるおだが、町自体が小さく、こんな近い場所でも郊外のような感じの住宅地になっている。ホテルを出て、中心部とは反対方向の住宅地に向かうと、ホテルの直ぐ横をかなり大きな川が流れている。かなり生い茂った水草が南国の川を思わせる。

ふと見ると、川岸には着色された土人形が飾られている。・・何でこんな所に、こんな人形の飾りが?? ああ、そうか、ここは港だったのだ。昔の河口湊なのだ。その歴史を記念して、こんな場所にこんな人形を飾っているのだ。17,8世紀、昔の港は、日本も中国も東南アジも多くが河港になっている。ここも、外洋からやってきた貿易船が、この川を遡り、町の近くのこの場所までやってきて、荷揚げ、荷卸しをしていた記念として、あのような人形を飾っていたのだ・・。そうか・・、そうすると、堺、長崎への行き帰り、呂宋(ルソン)助左衛門も、こうしてこの川を上って、ここまでやってきたのか・・。歴史が急に身近なものに感じられた。



ホテルの直ぐ近くには、かなり大きな川が流れている。
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マングローブのような水生の樹木が茂っている。
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う、あの人形は何だ??
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ああ、そうか、ここが昔の港の跡だったのか・・。その歴史を記念して、こうしたカラフルな人形をここに飾っているのか・・。
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更に進むと、市場に出て来た。矢張り、昔の集積所が今は近代化してこうした市場に衣替えしているのだろう・・
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