ちゃおチャオブログ

日々の連続

台湾・高雄の4日間(4)高雄港をフェリーで渡る。

凡そ10分、高雄市街地から旗津に渡る。左側が旗津半島、右側が高雄市街地。前方はシナ海に開けている開口部。
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海軍かコーストガードか、モダンな艦船が停泊している。
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高雄市内の中心部にある高層ビルが望遠できた。
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高雄側の市街地。マンション等が多い。後ろは壽山。
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10年前に登った壽山。明日天気だったら、行って見よう。
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高雄市街の鼓山フェリー乗り場から、対岸の旗津乗り場までは僅かに10分程度の短距離だ。先刻鼓山を出たフェリーから見えていた大きな弓なりの橋は、市街と半島を結んでいるものとばかり思っていたが、地図を見るとそうではなく、これは市街地側にある大きな湾の出口付近に架かっていたものだ。これから行く旗津半島は、地図を見るとずっと下の方で、市街地側の陸地と繋がっている。従ってここ高雄港は、北海道の野付半島のように細長い半島の内海になっているのだ。

30数キロにも及ぶ細長い野付半島の内側の海を、内海、と呼び、町名自体も内海町と呼ばれているが、オホーツクから常に流れくる海流によりあれ程にも細長い半島ができたのだが、この旗津半島もそうしたバシー海峡から常時北流する海流によって、生まれたのだろうか・・。しかし、それにしても前方に見える丘の上に立つ灯台砂州の力で、あれ程高い丘を押し上げるとは思えないが・・。

フェリーの上甲板に上がり、移りゆく10分間の港内の景色を楽しむ。野付の内海が天然の良港であるように、ここ高雄港も旗津半島に守られ、暴雨風、高潮等の被害には一切無縁の良好であるに違いない。日本人がアジアの先進国として、過去50年その座に胡坐をかき、当時のアジア一の貿易港、神戸、横浜はいつの間にかアジアの競合港に追いつかれ、追い抜かれ、漸く気が付いた時には、香港、シンガポールプサン、等の貿易量は遥か先に行っていて、神戸、横浜が漸くベスト10に入るかどうかの体たらくである。貿易立国日本が泣いている。

ここ高雄の荷扱い量は、詳しくは知らないが、いつか見た新聞記事の記憶では、過去10年、20年に急速な発展を遂げ、今や、シンガポール、香港に次ぐアジア第3位、釜山港をも陵駕している、とどこかで読んだ記憶が残っている。そうした記憶に残るBig Portを想像してフェリー甲板から港を眺めたが、現実の風景はどうも想像上のものとは異なているようだ。数年前、シンガポール・メンドーサ島の山頂から見た海峡に浮かぶ夥しい数の貨物船、タンカー、或は香港島のビクトリアピークから眺めた眼下の果てしない数の船舶と比べたら、この港はむしろ貧寒だ。或いは港が奥深く、このフェリーからは奥の様子が見えないのかも知れないが・・。

そんな風に湾内の様子を眺め、前方、高台の上に立つ灯台等を眺めている内に、もうほんの僅かな時間で、旗津のフェリーターミナルに到着する。夕食時にはまだ早い。先刻フェリーの上から見た、岡の上の投打に行って見よう。ひょっとして、戦前の日本が建設したものかも知れない・・。



後方はフェリー出発点の鼓山ターミナル。右の川は愛河。誰が付けたか、ロマンチックな名前だ。
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旗津の灯台が近づいてきた。
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ああ、港らしいドックなどもある。
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前方は旗津のフェリーターミナル。そろそろ到着だ。
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