ちゃおチャオブログ

日々の連続

台湾・高雄の4日間(17)48年振りの高雄「蓮池」。

搭の眼下を眺める。先刻登る途中に行き違ったガイドの洪さんに引率されたツァーの一行が、小雨の中、バス駐車場に消えて行くのを眺め、搭を下る。
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搭の階段は、この様に登り専用、下り専用に分かれている。ツアーの親子とは、この階段で行き違った。
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ツアー一行は、このガジュマルの木の向こうに消えて行った。
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この竜虎の塔の周辺にも蓮の茎はあるが、花はそれ程咲いていない。むしろ水鳥が目を引く。
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日本にも飛来する水鳥だろうか・・。
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最後にもう一度搭を振り返り、別れを告げる。
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来月で自分は69歳になる。もう後1年もすれば古稀を迎える齢になった。最初にこの町高雄に来たのは大学2年、二十歳になった年だった。今から48年前の事である。当時は海外旅行は厳しく規制され、二十歳になるまでは、一人での旅行は認められていなかった。勿論外貨の持ち出し制限もあって、最大500ドル。当時の交換レートが1ドル360円だから、18万円程が上限だった。この時の旅行は300ドル、約10万もあれば充分だったが、人によっては長期の旅行で、18万円ではとても足りず、密かに隠して持って行く以外になかった。当時は申告制であり、外為法違反と言っても、それ程厳しい処罰はなかった。

この町へ来たのは大学の同級生片岡君と一緒の旅行で、当時数年前に就航したソ連船ナホトカ号で香港へ来て、香港からは太湖運輸の客船で、船中1泊、ここ高雄港に上陸したのだった。約半世紀前の高雄、日本のどこかの田舎の都市の風情だった。ホテルは日本を出る前に旅行代理店で予約してあったのだが、街並みにしてもホテルにしても、香港との落差が大きく、香港では観光気分であったが、ここ高雄では旅行者気分であった。当時もNTD、ニュー台湾ドルを使っていて、その交換レートは覚えていないが、1ドルの価値は今よりも相当に高かった。

この高雄で唯一観光した所がこの蓮池で、当時から観光名所であり、台湾でも何番目かに数えられる重要文化財の一つだった。つづら折りの橋は石橋ではあったが、もっと幅狭く、もっと長かったように思えた。搭もあったが、橋とは繋がれてなく、搭は今のようにがっしりしたコンクリート作りではなく、確か黒ずんだ木造の建築物と記憶してた。又搭にも登れなかったが、つづら折りの八つ橋は中国人の優雅さ、奥床かしさを表現しているものと、当時は思った。

搭の上から湖面を眺める。あれから半世紀、自分は生きて来た。取り敢えずは犯罪者にもならず生きて来たが、誇れるような人生でもなく、自分に満足できる人生でもなかった。結婚し、子供も生まれ、一家を構えることは出来たが、平々凡々の人生を生きて来たに過ぎなかった。自分は人生に何を目指そうとしていたのか・・。それすらも明確でなく生きて来た。それでも、肯定しなければならない。人生70年、今更否定はできない。戻してやり直すことは出来ない。この先、後何年生きるか知れないが、今の人生を肯定し、このまま死ぬまで生き続ける以外にないだろう。

暫らく小雨に煙る湖面を眺め、今まで生きて来た半世紀を思った。登る途中、昨日の飛行機で一緒だったツアー客の親子と出会う。朝霞に住んでいたという台湾人ガイド洪さんに引率されての観光だ。一度きりのすれ違い。これも何かの縁かも知れない。死後、一度だけ両親と巡り合えると言う。こんな感じのすれ違いで、挨拶を交わし、そのまま又別々の方向へ行き違って行くに違いない。搭の上からその家族が遥か下を歩き、バスの駐車場へ向かっていくのを眺め、搭を下った。

地下鉄新左営駅まで、歩いて行けないこともないが、雨の為、タクシーを拾って駅に向かう。今度は蓮池の反対側の湖畔を通り駅まで乗せて行ってくもらう。かなり走り、料金メーターも上がったが、それでも300-400円程度。台湾の物価が上がったとは言ってもまだ日本の半掛け、6掛け程度だ。着いたのは高雄の新幹線駅で、これから新幹線に乗って台南へ行くことも考えられたが、取り敢えずは高雄駅まで出て、在来線で行くことにした。



タクシーでやってきたのは、新左營の新幹線駅だ。運転手が気を利かせて、新幹線駅まで運んでくれた。アレ、モスにココイチが並んであるよ!
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新幹線駅コンコース風景。
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運行本数は1時間に3本程度。日本と比べ極端に少ない。途中、台中ー板橋の2駅しか止まらない特急もある。
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チケットブースも日本と比べたら、随分と少ない。まだ頻繁な利用がないのだろう。
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鉄道全般について、日本の新幹線システムが導入されている。矢張りアジアはドイツ・フランスではなく、日本がリードしなくては。
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この先が「月台」、プラットホームだ。
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