ちゃおチャオブログ

日々の連続

台湾・高雄の4日間(24)台南の墓地「十二軍伕」。

安平古堡の直ぐ近くには少し荒れた感じの墓地があった。
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草に覆われてはいるが、中国風の墓石で、珍しいので、見ることにした。
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これなどは全く芸術的で、飾られた墓石だ。
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ああ、1937年、日中戦争上海事変で亡くなった兵士も祀られている。
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いろいろと戦前の当時の戦争の写真で説明されている。
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東南アジアを旅行していて墓地とかお墓を見る機会は少ない。東南アジアの人々は、日本人のようにお墓を作って祖先を供養するようなことは余りしないのか、と思ったりもした。然しいつか戦場に架ける橋を見た帰り、バスで通り過ぎたカンチヤナブリーの街中に大きな墓地があり、沢山の墓石が立ち並んでいるのを見た。タイには過去何回か旅行に来ていたが、これ程沢山のまとまった数の墓地を見たのは初めてだった。その時は、ここでは泰麺鉄道の建設に際し、多くの捕虜や建設作業員が亡くなっているので、それでこれ程の墓地があるのかと、思ったりしていた。

その後、ラオスの北部とかベトナムで墓地やお墓を見る機会があったが、それ等は中国系の墓地か、中国の風習の影響を受けたものだった。中国人は秦の始皇帝陵や明の十三陵にあるように昔から死後の世界を信じているような部分もあり、祖先崇拝や墓地、お墓にお金を掛けている。

媽祖廟の先の墓地は、やや荒れ果てた感じだった。中国風のお墓自体は立派なもので、タイルや大理石なども使われていて、以前は壮麗な霊園と思えたが、いつの頃から維持管理が疎かになり、今は草生す墓地に変わり果てていた。お墓の幾つかを見て行くと、写真付きの案内板が出ていて、1937年(昭和12年)日中戦争の際の日本軍の上海進駐の解説などもある。更に見て行くと、当時日本兵として徴集された台湾人がこの上海事変で犠牲になり、当時の県知事川村真岡氏より表彰され、ここに十二軍伕の記念碑と墓地が建立されたことが明記されていた。

そう言えば、李登輝さんが以前文芸春秋に投稿され、戦前の台湾人は日本兵として立派に戦った、との寄稿文を書いているが、戦前の台湾人にはそうした李登輝さんと同じような民族意識があったのかも知れない。

当方こうした歴史的な具体的事実は知らないが、今でもこうして歴史の中に埋没されず、草生しているとは言え、当時の台湾人=日本人を顕彰した墓石が残されていることに、現在も続く台湾人と日本との深い繋がりを感じた。

外務省は変なところに無駄な援助を繰り返すのではなく、こうした歴史的な史跡をもっと大事にし、霊園の整備、維持に努め、更なる日台関係の友好関係を図っていくべきと思った。



?? 十二軍伕?? 初めて聞く名前だが、戦前この地方の県知事、川村氏により、上海事変で亡くなった台湾兵を慰霊するために、こんな立派な慰霊墓地が作られていたのか・・。
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もう一度墓地をざっと見渡し、海岸の方に向かって歩く。
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この辺は埋め立て地のようになっているが、少し行くと、大きな池、塩湖みたいなのが見える。
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ああ、ここは海水から塩を作る塩湖かも知れない・・。
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昔はこの辺まで海が来ていて、貿易船も入港してきたのかも知れない・・。
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