ちゃおチャオブログ

日々の連続

台湾・高雄の4日間(41)國立高雄師範大學にて。

正面に国立高雄師範大学の校舎が見える。
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大学に近い場所には日本で言う処の赤十字献血車が止まっていた。
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その傍で遊ぶ台湾の小鳥。
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日本と違って台湾はキャンパスの出入りは自由だ。
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正面の本部棟。現在時刻が表示されている。5:55.タイ語で「ห้าห้าห้า」(ハハハー)。朝から笑ってる!
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各校舎が取り巻いている。
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國立高雄師範大學は、知人の荘さんのお父さんが出た大学と聞いていた。ホテルの部屋で地図を見た時、ホテルからこんなに近い場所に師範大学があるのかと気づき、やって来たのだ。帰国後、荘さんと会う機会があれば、この大學のことも話ができるかと思った。

台湾が日本の統治下にあった戦前、台湾総督府により最初に設立された大学が台北帝国大学で、帝国の冠を称する大学は、東大、京大等に続き、最後の7番目の帝国大学だった。それから順次各主要都市に高騰師範学校が設立されたのだが、この国立高雄師範大学は、その流れを汲むものかと思っていたが、そうではなかっや。台湾南部には屏東市に高師が設立されたのだった。だから、荘さんの実家は屏東市にあり、ひょっとしてお父さんは旧制の屏東高等師範出身かも知れない。いずれにせよ後年、高雄市内の高校の校長まで務めたというから、教師としても立派な業績を残している。

キャンパスに入るとまだ早朝のことで、殆ど人はいない。遠くで、落ち葉を掃いている路上の清掃人が数人見えるだけだ。入口正面に電子掲示板が時刻を表示している。5:55.まだ6時前だ。タイ語で言えば、「ハハハー」(ห้าห้าห้า)、もうとうに8時を過ぎていると勘違いしていたが、この朝の散歩はまだ朝食前だったのだ。朝食は7時からで、それこそ、朝飯前の散歩だった。

この国立師範大学は戦後新しく出来た大学で、キャンパスの全体が新しい感じだ。元々の前身が女子師範であり、改編されて師範大学となったものだが、それでも戦後間もなくのことだから、もう既に40-50年は経っているだろう。そうした、浅いながらも、多少の歴史を感じさせる落ち着いたキャンパスだった。約10分、本部棟の裏側に出て、広い運動場、フィールドを眺め、こんな早い時間にも拘わらず、トラックをランニングしている数人を認め、ホテルに戻ることにした。



近くには図書館棟もあった。
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南国風の緑濃いキャンパスだ。
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学生か卒業生が造ったのだろうか、大きなオブジェなども置いてあった。
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本部の裏には大きなフィールドがあり、早朝から何人かがトラックを走っていた。
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高雄師範大学を出る。何て書いてあるのだろう、「遂宏敬誠」か・・
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キャンパスを出ると正面に「文化中心」のビルが朝日に輝いていた。
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