ちゃおチャオブログ

日々の連続

10.12.(月・晴れ、体育の日)柄沢君宅訪問。

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柄沢君が脳梗塞で倒れ、発見が早く一命を取り留めたが、あれからもう6年になる。半身不随の後遺症が残ったが、徐々に機能も回復してきて、3年程前からは、くねくねした文字で、本人自筆の年賀状も来るようになった。
電話でも何回か話をしているが、言っている意味も半分も伝わらないが、良く聞いて、解釈すれば、通じない訳でもない。

前々から会いたい、との話もあり、連休最後の今日、行くことにした。秋の好天、水道道路を自転車で行くべく電話をしたら、お墓に行きたいので、車で来てくれ、との要望。
所沢に住む須田ちゃんに電話したところ、今日はバーべキューパーテイで無理。そこで稲さんにお願いし、所沢まで行ってもらう。保険が有効とのことで、行は自分が運転。車の運転は、実際、久し振りだ。車の無い生活になれると、普段は無くても全く困らないが、こうした車の要望をされると困る。

ほぼ30年振りに柄沢宅訪問。広い庭は以前と変わらない。変わっているものとすれば、庭の花壇が増えたことか。
玄関ドアを開けて、待っていてくれる。元々老けた感じの顔立ちで、病み上がりとは思えない。今見ても、6年前と変わらない。6年前の入院時には、話も出来ず、当方が誰とも認識できなかったが、今は、言語障害、運動障害を除いては、かなり元の状態に戻って来ているようだ。玄関先から手を振って迎えてくれる。

車が必要、との要望は、去年狭山に買った墓地を見に行きたい、そこへは、車でないと行けない場所にあるから、との理由からだった。事前に自身で書いた地図を用意していて、この地図通りに行ってもらいたい、との要望だったが、肝心の寺の名前、墓地の名前は覚えていない。
が、行き順の記憶はしっかりしていて、どの交差点を右折するか、左折するかにすいては、間違いない。

行ったところ、そこはフクロウの里霊園で、200基程の墓石が整然と並んでいた。彼のお墓は奥まった一角にあり、1基、60万したとのことである。入口近くの手前の方は100万とのこと。墓石には「創意」という文字が刻まれていた。
彼も死んだ後の収まり場所が出来て、安心というか、満足そうだった。収まるべき場所が出来て、後願の愁い無きがごときの充実感だった。

車台の高い車で、車の乗り降りには苦労したが、帰りにマックに寄って、遅い昼食。彼を自宅に送って、小金井に戻る。夕方にはまだ早いが、昼から開いている「赤札堂」に寄って、一杯。稲さんへの突然の用立てで、慰労だ。
ほんの少し飲むはずが、又、結構飲んでしまった。まあ、今日は唐沢君と6年振りに会い、順調な回復を見せている、そのお祝いだ。


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