ちゃおチャオブログ

日々の連続

「サウダーデ」モラエスの愛した町(19)諏訪神社から「滝薬師」へ。

諏訪神社からは眉山山裾を20分も歩くと、右手に滝薬師の看板が見えてくる。
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この右手を入った所に、滝薬師がある。
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幅広の参道が山に向かう。ああ、正面に薬師堂がある。
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焼き餅の「和田乃屋」はこの右手の奥だ。
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正面に和田乃屋が見える。
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長崎諏訪神社の高台から眺めた大浦の町、又更にその先の稲佐山、神戸布引の滝の高台から眺めた三ノ宮とその先の海、そしてここ徳島諏訪神社の高台から眺める佐古の街並みとその先の吉野川。二人の妻に先立たれ、モラエスは一人この急な石段を登り異国の街並みを眺め、何を思っただろうか。もう既に望郷の念は消え失せ、この土地に骨を埋め、おヨネ小春と一緒の墓に入る積りでいただろう。

高台にある神社を下り降り、再び眉山の山裾沿いに彼が生前のおヨネ、後妻の小春としばしば訪れた「滝薬師」へ向かった。神戸には北野の先の六甲山中に布引の滝があり、モラエスはおヨネとしばしばこの滝を訪れていたが、この徳島に於いても、同じような滝を探し求めたのかも知れない。平地の多い欧州では町の近くに山とか滝は少ないが、海に面したポルトガルは日本と似ていて、山が市街地にまで迫っている。当然、滝、Cascadeもあったことだろう。流れ落ちる水。常に新たな水が上から落ちて来る。日本人でもそうだが、滝を眺めることによって、心も洗われ、新鮮な気持ちにしてくれる。

諏訪神社からは20分程歩き、山裾の住宅地を少し入った所に「滝薬師」の立て看板があった。古くからある霊場、或は遊行地。多分江戸時代から人々の行楽を兼ねた参詣の場であったのだろう。滝に向かう幅広の参道と古い家並。その石段の先に目指す「和田乃屋」はあった。今では焼き餅も機械で作っているのか、モラエスが生きていた頃聞こえた、「ぺったん」「ぺったん」という、餅をひっくり返す音は聞こえて来なかったが・・。

< 涼し気に 滝の薬師に 茶屋もあり >



井上不鳴の石碑。当方は知らないが、幕末から明治の初め頃この町で活躍した医者のようだ。
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ああ、滝があった。こんな小さな滝だったのか・・。予想外だった・・。
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滝の横には「和田乃屋」がある。名物の焼き餅を食べてみよう。
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滝の水を取り入れて坪庭のような池もあった。
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ここも矢張り江戸時代から続いている老舗の店だ。蜂須賀のお殿様も立ち寄っただろう。
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