ちゃおチャオブログ

日々の連続

「サウダーデ」モラエスの愛した町(20)和田乃屋の「滝の焼き餅」。

和田乃屋裏庭は滝に面して、小さな池と庭がある。
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モラエスが植えたと言われる「黄花亜麻」。今は花は咲いていないが、どこかポルトガルを思わせる。
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案内された中2階の部屋から白糸の滝と坪庭が見える。
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部屋には古風な屏風なども置かれている。
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名水「銀竜水」。色々と謂れが説明されている。
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徳島眉山の麓にある「滝薬師」の滝。薬師堂の地名になっている位だからどれ程のものか期待して行ったが、安に相違して極く小さなもので、高さは凡そ3-4m、流れ落ちる水量も沢水のようなものだった。しかしここは江戸時代からの徳島に於ける名所旧跡でもあり、代々のお殿様も万年山墓所の帰り、しばしば立ち寄ったそうである。「白糸の滝」という、それなりの名前も付いている。

その滝の直ぐ横に名物「滝の焼き餅」を製造する「和田乃屋」があり、創業400年、江戸時代初期から開業しているようである。神戸三宮の芸者置屋を辞めたおヨネは、郷里の徳島に帰り、この「和田乃屋」の和菓子職人として働いていたが、おヨネへの思いを断ち切れぬモラエスは、彼女を追いかけてこの徳島までやってきて、「和田乃屋」で再会する。焼き餅をひっくり返す「ぺったん」「ぺったん」の音を聞き、彼の心も躍ったことだろう。

改装された和田乃屋はもう既に築20-30年は経っているようだが、店の入り口、1階の店舗は土間風の造りで、江戸時代の面影を残していて、囲炉裏風を囲むようにして座席が幾つかあった。赤い前掛けをした店員はその土間を通り抜けて裏庭に回り、当方を滝の良く見える中二階へ案内してくれた。昼時を少し過ぎてはいたが、その土間にも中二階にも客が誰もいないのは、これも又日本的だ。中国だったらこんなことはない。人で溢れているだろう。お蔭で焼き餅が出来上がるまでの10数分、大きなガラス窓を通し目の前の「白糸の滝」を見ることもできたし、その上の「滝不動」も眺められた。

出て来た焼き餅は朱色のお盆に乗せられ、抹茶も添えられていた。上品なものである。滝が小ぶりなように、この焼き餅も極く小ぶりで、お腹を満たす程の量はなく、量よりも質、味覚を満たすものだった。これが江戸時代から続く味覚なのかもしれない。蜂須賀のお殿様が好んで食べたとも思えないが、奥方、奥女中には質の良いお焼きであったに違いない。

モラエスが食べたかどうかは知らないが、一人静かに江戸時代の行楽を想像していると、急に外階段が賑やかになってきて、赤前掛けに案内された4-5人のご婦人連が入って来た。女性はいつでもどこでも元気で快活だ。中年ともなると猶更で、傍若無人と言った面もある。急に活気づいた店を後にして、この滝の上の方にある観音堂を見に行くことにした。嘗てそこには五重塔があり、モラエスもおヨネ、小春としばしば息抜きに行ったとのことである。

      < 名物の 阿波の焼き餅 滝の音 > 




ああ、漸く出てきました。阿波名物「滝の焼き餅」。
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これは「和田乃屋」パンフからの写真。
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部屋にはモラエスに関する出版物なども展示されていた。
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さて、部屋も少し騒がしくなってきた。滝の上の観音堂へ行こう。
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参道の途中には、この国、町で名を遂げた文人、学者等の石碑も建っている。
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