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日々の連続

「サウダーテ」モラエスが住んだ町(33)神戸旧居留地。

生田神社の出口付近には、この森(生田の森)についての解説が出ていた。源平、それ以前、それ以後も、幾多の戦場の分岐点になった、とのことである。近年では信長軍と花隈城主荒木村重との戦いもあった。
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三ノ宮駅からはガード下の商店街を元町まで向かう。
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鉄道と並行して走る元町アーケード街。
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中内さんのダイエー三ノ宮店もこうした賑やかな商店街から立ち上がったのだろうか・・
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居留地の正面には大丸デパートがドンと構えている。
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居留地には明治の面影は希薄で、戦前のクラシックなビルが目立つ位だった。
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明治25年、日本国政府居留地内の領事裁判権を制限することとなり、この神戸の地に於いても、ポルトガル国はフランス領事に事務の委託をしていたが、この法律改正により、ポルトガルも自前の領事を置く必要に迫られ、そこでモラエスが選任されたのだった。モラエスが神戸にやってきて、最初に行った仕事は、この居留地内に於ける領事館の設立だった。国は傾きつつあり、財政はひっ迫しているとは言え、一国の領事館、他国領事館に引けを取らない、立派なものを作る必要性があった。

生田神社を参拝した後に、次に向かったのは、この居留地内の領事館跡だ。鉄道高架下のアーケード街を元町まで出て、海岸の方へ向かった辺りが旧居留地の区画になるが、今はこの地区は全くの近代化。目の前には大丸デパートが堂々としたビルで立ち塞がっている。昨日は徳島でそごうを見て来たが、今日はここ神戸で大丸を見る。嘗てはデパートはその町のシンボルであり、顔になっていた。が、そのデパートも今では退潮甚だしく、各地で休店、撤退が相次ぎ、自分の知る西武など、春日部、沼津からの撤退が決まっている。半世紀以上もその町を代表したデパートが無くなってしまうのは淋しい限りだ。

更に100年の時間単位でこの街を眺めると、今はモラエスがやって来た明治の面影をこの旧居留地跡から見つけ出すのは困難だ。そこには煉瓦道もないし、日本最初に設置されたガス灯なども勿論ない。戦前建てられたゴシック風の建物とか、アールデコ風のビルなどを見ることは出来るが、100年以上も前の明治の初め頃の息遣いをこの区画から感じるのは困難だった。

しかし唯一、それらしき面影というか、伝統を引きついでいると思われるのは、この街区には、大丸店舗内の高級ブテック店を始め、ビトン、シャネル、オメガ、ダンヒル等の高級ブランド直営店が軒を並べていることであり、矢張りこの地区は明治の初め頃より別格なのだ、という事を意識下に植えつけるものもあった。当方高級品には特別興味も無く、又買うお金も無いので、居留地はそのまま足早に素通りし、次に港神戸、メリケン波止場に向かった。


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今の旧居留地には、高級ブランド店が軒を連ねていた。
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明治の初めと比べ、街区は様変わりしてて、時々こんなビルが目に付く程度だった。
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神戸大震災の以前からか、その前からかは知らないが、街区には大きな道路に縦断されていた。
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ここから明治の雰囲気を嗅ぎ取るのは困難だろう。
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今は波止場も海岸線も遠く後退している。
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さてこれからメリケン波止場で行こう。
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