ちゃおチャオブログ

日々の連続

「サウダーデ」モラエスが住んだ町(45)大本山須磨寺。

大本山須磨寺の参道の両脇には、末寺が建っている。
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ここは山門手前の左側に正覚院。ここも又由緒ありそうだ。
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放生池に架かる龍華橋を渡る。
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須磨寺境内の案内図。腰掛の松はどこだったっけか・・
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前方に騎馬武者像が見える。・・以前は、気が付かなかったが・・
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大本山須磨寺」。神戸最古のお寺で、現在は真言宗須磨寺派大本山となっている。寺伝によれば、平安の初期、京都に仁和寺が創建された同じ頃、この須磨寺も創建され、ご本尊は聖観音とのこと。1200年近くの由緒あるお寺だ。この寺が全国的に有名なのは、大本山ということもあるが、この寺の直ぐ近く、一の谷で行われた源平の合戦で、その関連の遺品等が多く残されている点である。古くから文人墨客の参詣する場所となり、境内には数多くの句碑も残されている。当方は今回2度目の参詣であるが、前回は時間が無く、義経腰掛の松だけを見て寺を後にしたが、今日は充分時間はある。これからゆっくり境内を散策しよう。

山門に向かって歩いて行くと、参道の両側には左右に末寺が建っている。それぞれがこの大本山の関係寺だ。更に進んで行くと、朱塗りの小さな橋、「龍華橋」が放生池を跨ぐようにしてあり、池の中には大きな鯉が泳いでいる。タイでは高座部仏教の教えから、今も尚「生類憐み」の功徳が励行されていて、こうした放生池には、実際に生きた状態の鯉やら小魚を放してやっているが、今の日本では、池に「放生」という名前が付いているだけで、実際には大きな錦鯉が池の中を悠々と泳いでいた。

そうして仁王門を潜り境内に入ると、直ぐの左手に騎馬武者の像が2組立っている。馬に乗った武将は平家の若大将、平の敦盛で、方や追っ手は源氏のつわもの、熊谷直実だ。二人の躍動感あふれる騎馬武者像は平家物語ではないが、敦盛の哀悼を誘う。笛の名手敦盛は、僅か17歳でこの地に散った。この二人の騎馬武者像の前に、与謝蕪村の句碑があった。

「笛の音に 波も寄せくる 須磨の秋」

前の晩、陣屋で笛の音を聞いた義経は、敦盛が打たれたことを知って、涙したと言う。六百年前の故事を想い、蕪村の胸中にも去来したものは何だっただろうか・・

暫し源平の騎馬像の庭に佇み、敦盛を弔い、本堂に向かう。山門に掛る数段の石段を登ると、頭の上から細かい霧状の水滴が流れて来る。ミストだ!今流行の最先端のミストがこんな古い平安時代創建のお寺の山門に備え付けられている。800年前の源平の時代から、急に現代に舞い戻った感じだった。

      < 涙しても 語り尽せぬ 須磨の寺 >


ああ、これは源平の戦いの騎馬武者だ。左、海から戻って来る平敦盛と、追いかけて行く熊谷直実源平合戦にはいろいろと名場面があるが、この下りも名場面だ。
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解説プレートが出ている。「源平の庭」。1184年、一の谷の戦いの後の須磨の浜辺での敦盛と直実の戦いの場面だ。
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ああ、ここには蕪村の句も出ている。
「笛の音に 波もよりくる 須磨の秋」
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さて、境内に行こう。山門は唐門になっている。
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ああ、珍しい。山門に霧が掛かっている。ミストだ!
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