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日々の連続

「サウダーデ」モラエスが住んだ町(47)敦盛首塚と青葉の笛。

三重塔の前には青葉の笛を収蔵した青葉殿などもある。
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手前には「五猿」の石仏もある。
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シベリア抑留の慰霊碑。後ろの建物が青葉殿。
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ああ、五輪の石塔がある。
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敦盛首塚の解説板。
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ああ、これは敦盛の首塚なのだ・・。
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境内の五重塔の向いには青葉殿という立派な建物があり、その中には敦盛が愛用していた横笛「青葉の笛」が保管されている。特別な日以外、一般には公開されていないので、中には入らずに素通りして先に進む。と、その先に昔風の五輪の石塔がある。何だろう、と札を見ると、敦盛公の首塚とある。ああ、これが首塚なのか・・。直実は首実検の後、義経に懇望し、敦盛の首と笛、冑などをもらい受けた。その後、武士から僧侶になった。平家滅亡の後、直実がその首級をここへ埋葬し、供養したのだ。

自然に頭が下がり、両手を合わせる。自分の子供程の年端の行かない敦盛を呼び戻し、馬上から倒して組み伏せ、首を切り裂いて冑を取った時、その初顔を見て、直実はどう思ったか・・。諸行無常、この戦いの後仏門に投じた直実の心境も分かる気がした。テレビで見たか、何かで読んだ謡曲「敦盛」の一場面を思い出す。戦である以上、相手を倒さなければならない。相手が年端の行かない子供であろうが、誰であろうが。それが武士の宿命だ。能の中では、二人が霊界で再会し、手を取り合って合いまみえる。二人は黄泉の世界で邂逅したのだ。

この周辺には敦盛に関わる武具、遺留品、その他が収められている。近くには又青葉の笛の碑もあり、そこからは平安朝の雅楽も流れて来ている。笛の名手と言われた敦盛。彼が吹いた横笛がどんな玄妙な音なのかは、この電子音からは想像もできないが、夜な夜な小枝の笛から聞こえて来た名曲はどんなだっただろうか・・。再びミストの下に佇み、源平の昔を偲ぶ。さてこれから、この寺の句碑、歌碑等を見て、寺を最後にしよう。

         
           < 公達や 冑の下に 須磨の浜 >



謡曲「敦盛」でも謡われた数々の遺品が収められている。
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謡曲「敦盛」の解説板だ。
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青葉の笛の碑だ。
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ここからは電子音で曲が流れて来る。
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明治になって作曲作詞された「青葉の笛」。
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前方の一の谷に続く山を眺める。
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