ちゃおチャオブログ

日々の連続

「サウダーデ」モラエスが住んだ町(52・最終)大阪の知人を訪ね帰京する。

大正ロマンの香り残る欧風庭園に別れを告げる。
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ここのバラ園も見事に手入れされていた。
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惜しむらくは入園者が少ない事。一定の曜日とか日を決めて、入園無料のサービスデイを設け、広く市民に開放すべきだ。
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入口近くには大きな亀石が配置されていた。
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植樹から100年、その周辺は鬱蒼としたヒマラヤ杉(印度杉)に覆われていた。
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明治以降の戦前戦後を通じ、離宮と名の付く天皇家別邸が他にあったのかどうかは知らない。多分、ここ須磨の地以外にはなかったであろう。日清日露に勝利し、朝鮮を併合し、革命により清王朝は潰え去り、丁度時を同じくしてこの地に離宮が建設されたが、そうした朝鮮・清朝の皇族方の仮の住まいとして建設された訳ではないとしても、ここに清王家最後の皇帝溥儀が一時期寄寓し、昭和天皇とまみえた歴史は、今は忘れ去られているとしても、昭和史の初期を飾るエピソードであったに違いない。

激動の20世紀、その後の二人の運命は歴史に翻弄され、日本の敗戦と言う屈辱的な結果の元、昭和天皇人間宣言をし、溥儀は皇帝の座から引きづり下ろされた。もう何年も前、北京市内で一般市民として亡くなった事が新聞紙上で数行の解説と共に報じられただけだった。

汐見台から、以前はもっと見晴らしも良く、多分須磨の浜辺と須磨寺すらも一望に見渡せたであろう高台を下り、帰京の途に就くことにした。一旦ホテルに戻り、荷物を纏め、途中大阪に立ち寄らなければならない。大阪には古くからの知人が施設に入所している。ここを訪ねるのももう3年振りになるか・・。

但馬さんがその施設に入所してからかれこれもう7年にはなる。過去2回訪問したが、その施設はグループホームと言って、アル中患者からアルコールを絶つ施設であった。本人がアル中とは思えなかったが、どうも家族から無理やり入所させられたようだ。入所した翌年訪ねたが、「自分は死ぬまでもうこの施設からは出られない。妻と娘の陰謀で入れさせられた。自分の年金目当てだから、この施設で出来るだけ長く、長生きしてもらいたいのが二人の考えだ。」と中半自嘲気味に、諦めの境地で話していた。

その時は面談室での面会で、30分程話をしたが、その3年程後に訪問した時は、面談室ではなく、他の入所者もいる一般談話室だった。だが、相変わらず外出はできなかった。佐世保予科練出身の彼は以前より性格が激しく極端な所があり、入所1年目には、猶、その性格の強さを垣間見せたが、4年経ったこの時は、長期軟禁状態で、所謂腑抜け状態、長期拘禁の結果のうつ状態なのか、以前の元気さはなく、眼の輝きも消え、生きていても何の楽しみもなく、もう何時死んでも良いような話しぶりだった。1年に1度、お正月には帰宅できるようだが、それすらも最早楽しくも無いような話しぶりだった。

7年目の今回は、漸く連れ出しの外出が可能となった。しかし極端な変わり振りに当方が驚いた。大体当方を誰だが認識できない程に痴呆が進み、話をすることは可能だが、過去の記憶は殆ど忘れかけていた。不思議なことに当方の声、話し方に漸く過去の記憶を辿るような具合だった。施設の中での単調な生活が、刺激も無く喜びも楽しみも無く、彼をアルツハイマー老人性痴呆症にさせたに違いないが、それでも外に連れ出し、外の空気を吸わせてやった。

施設の周辺を手を取って歩き、丁度1軒喫茶店があったので、コーヒーを飲んだ。手土産に持って行った不二家のショートケーキも多分彼の口には入らないだろう。コーヒー受けのケーキを一つ頼んだが、既に味覚も失われているようだ。頭脳の皺がフラットになり、それと同時に感情の起伏もフラットになってしまたのだろう。妻子からも見放され、ただ生きているだけの人生。年齢を聞いても分からない。脳内が混濁している事すら理解できないのだろう。自分に出来ることは何もない。この施設を訪問するのも、今日が最後になるだろう。今年までは年賀状を送り、多分施設の人の代筆で返事も来ていたが、年賀状も今年で最後にしよう。彼の死は風の便りで知るかも知れないし、或は、何時死んだかも分からないかも知れない。生き生まれ死んでいく。自然の摂理だ。

環状線で新大阪まで出て、一番早いのぞみに乗って帰京する。のぞみー希望、人は生きている限りは希望を持って生きなければならない。でないとするとそれは将に生きる屍だ。先刻会って来た但馬氏はどうなのか・・、亡くなる直前、数年間のモラエスはどうだったのか・・。見慣れた京都駅の近代的な駅舎を車窓に眺め、次に関ヶ原の松尾山を眺め、20年程前までは高層ビルの全く無かった名古屋駅前の見事な超高層ビルを眺め、今回4日間のモラエスを訪ねる旅を回想し、ロング缶1本のビールで気持ち良くなった頭は、いつの間にか転寝のモードに入って行った。


             < 古き人 訪ぬる旅も 夏の夢 >

                                             完



神戸を後にし、知人が入所している大阪此花区にあるグループホームを訪ねた。
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85歳になる但馬さん。3回目の今回は、漸く外出が出来、施設近くの喫茶店に入った。
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近くに咲いていた酔芙蓉。酒好きの但馬氏にお似合いかも知れない。
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新大阪を出て直ぐの所、大山崎を通過する。
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京都駅。改築されてもう20年は経つか・・。思い出の駅だ。
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大きな田舎の大都会、名古屋も今では駅前に数棟の超高層ビルが建っている。最初に出来た頃、この屋上の展望室へ上がり、濃尾平野、伊勢湾を眺めたが・・。
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旅を振り返りつつ、いつの間にか寝てしまったようだ・・。
Wenceslao Jose de Sousa de Moraes
1854年リスボンに生まれ、1899年来日、1929年徳島にて死去、享年75歳。
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